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虎塚古墳(とらづかこふん)は、茨城県ひたちなか市にある前方後円墳である。造られた時期は、7世紀前半頃と推定される。 == 概要 == 虎塚古墳群、笠谷古墳群が形成されている標高20メートルほどの台地上の山林に虎塚古墳が位置している。この周辺には県指定史跡の十五郎横穴群も所在する。 1973年(昭和48年)9月12日に明治大学教授の大塚初重による発掘調査が実施され、横穴式石室内部に装飾壁画が発見された。1974年(昭和49年)1月23日には、国の史跡に指定された。 石室内部からは、成人男子の遺骸が1体と漆塗小大刀(うるしぬりこたち)〔遺存状態が良好、全長約38センチメートル、柄頭は木質の造り出し、その先端に銀製の環が付けられている。柄は撚り糸を巻き、柄巻き止めに責金具を使用、鍔はない。鞘に銀製の釣り金具が取り付けられている。鞘尻には銀製の責金具の上に鉄製の鞘尻金具をかぶせたもの。〕、毛抜形鉄製品〔全長9.5センチメートル、頭に環が付いている。〕、槍鉋(やりがんな)、鉄鏃、鉄板〔全長6.2センチメートルで三角形の透かしが壱カ所付く、用途不明。〕などの副葬品が出土している。 また、この古墳は後円部南側に両袖形の横穴式石室で、第一次調査の段階で未開口であることが確認された。玄室の長さは2.8メートル、幅1.8メートル、高さ1.4メートル、奥壁に一枚、東壁に一枚、西壁に2枚、天井に3枚の凝灰岩の切石で構築し、床石は7枚の板石を敷いている。羨道は長さ1.3メートル、幅1.2メートルで天井石が一枚載り、幅約1メートルの墓道が羨道部から墳丘外側に向かって造られている。床面には凝灰岩片が敷き詰められている。 石室内の発掘調査に先立って科学調査(温度や湿度〔外気温32度、石室内部は15度、湿度90%以上というデータが得られた。〕、微生物など)を日本で初めて実施した学史的意義のある古墳でもあり、観覧室はこの調査に基づいて設計されている。 築造年代は7世紀前半と推定されているが、埋葬施設や副葬品を参考にした年代の割り出しも必要と言われている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「虎塚古墳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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