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蛎船 : ウィキペディア日本語版
かき船[-ふね]
かき船(-ふね、牡蛎船牡蠣船カキ船とも)は、川辺に係留した和船カキ料理を食べさせる飲食店〔『広島県大百科事典 上巻』 - 238ページ〕。
== 概要 ==
1660年代に、草津から大阪まで、小西屋五郎八のカキ売りの船が起源とされている〔〔『海のカキアルバム』 51ページ〕。当時は、草津・仁保矢野の港を晩秋に出港〔。大阪の各港で生がきを販売〔。翌年の1月から2月頃(旧暦)に広島に帰っていた〔。
1707年(宝永4年)の大阪での火事の際に、高麗橋下の幕府の高札を守ったことで〔〔、草津の業者は大坂町奉行より事業の特権が与えられ〔〔、株仲間制度の下、草津・仁保出身者が事業を独占することになった〔〔『海のカキアルバム』 48ページ〕。
船内でのかき料理の提供は1810年代より始まった〔。1832年(天保3年)のメニューとして、カキ飯・カキの土手鍋・酢ガキ・カキの吸い物・からまぶし(カキとおからの和え物)などが記録に残されている〔『海のカキアルバム』 50ページ〕。
明治以降、草津の業者に加え、矢野海田の業者もかき船に参入〔『海のカキアルバム』 47ページ〕。1882年(明治15年)時点で77隻〔、昭和初期で150隻以上〔、かき船の数を数えた。標準的なカキ船で、板前・仲居・出前持ちなど10人前後の従業員で営業していたとされている〔。また、明治以降はカキフライなども出されるようになった〔。また付け合わせとして広島菜漬も出された〔。
広島市内でも、第二次世界大戦のまえから元安川企画展を見よう なつかしの広島の風景 - 広島平和記念資料館〕や、本川で営業していた〔広島県立文書館収蔵 絵はがき2 - 広島県立文書館〕。
明治以降、東京でもかき船が登場〔。大阪の物とは異なり、食材のみを広島から仕入れる形態になった〔。カキの輸送手段も大正時代には汽船を、昭和時代にはむぎ身を汽車で運ぶように変化していった〔『干潟の恵み?カキとノリの物語?』 - 30ページ〕。
第二次世界大戦後、陸上に店を構える店舗に転換するなどして数を急激に減らしている〔〔『海のカキアルバム』 49ページ〕。
2014年現在、広島県広島市元安川に2隻(かなわ・ひろしま)、広島県呉市堺川に1隻(味の居酒屋かき船)、大阪府大阪市旧淀川に1隻(かき広)〔淀屋橋にある牡蠣舟の料理店は何故川の上で営業できるのか。 - レファレンス協同データベース〕、長野県松本市松本城の堀に1隻(かき船)がある。


Kakihune Kanawa 20151004-2.JPG|かき船かなわ
Kakihune Hiroshima 20140302.JPG|かき船ひろしま
Kure Kakihune 201509-2.JPG|呉市のかき船
Nakanoshima_Osaka_Japan02.jpg|大阪市のかき広



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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