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蛯沢 誠治(えびさわ せいじ、1951年6月5日 - 2003年10月31日)は日本中央競馬会 (JRA) に所属した騎手、調教助手。千葉県出身。 == 経歴 == 1951年、青森県上北郡東北町にて出生。すぐに千葉県に移住。12歳の時、かつて騎手を志していた次兄の薦めで、当時調教師を目指していた成宮明光に弟子入り、千葉県に移り住む。その後成宮の元で騎乗技術を習得し、馬事公苑騎手養成短期課程を経て、1970年3月に成宮厩舎所属騎手としてデビュー。4年目に43勝を挙げて全国7位に付けるなど、早くから頭角を現した。 しかし、1975年に運転免許不正取得事件に連座していたことが発覚し書類送検となった(結果は起訴猶予)。逮捕には至らなかったものの、6月5日付けで当面の間騎乗停止(暫定処分)、9月18日付で正式処分が下され、騎手免許剥奪となった。その後、1978年に免許再取得が認められるまでの間、青森県の明神ファームで育成騎乗者として過ごした。 1978年に復帰すると、順調に勝ち星を積み重ねる。1980年代に入ると関東の有力騎手として安定した成績を収めるようになり、1987年にはスズパレードに騎乗して宝塚記念に優勝し、デビュー17年目で初のGI級競走優勝を果たした。この年にはタレンティドガールに騎乗してエリザベス女王杯も制している。1990年代に入ると若手騎手の台頭によりリーディング上位を窺うことはなくなったが、毎年二桁の勝ち星を保ち「いぶし銀」とも称された。 しかし1998年は7勝で自身初の一桁勝利に終わり、成宮厩舎所属からフリーに転向した翌年も6勝を挙げるに留まる。これを受けて2000年に騎手を引退し調教助手に転身。 以後は小島太厩舎で同職を務めていたが、2003年秋、食道癌により52歳で死去。死去まで同厩舎に在籍していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「蛯沢誠治」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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