翻訳と辞書
Words near each other
・ 蜷川実花
・ 蜷川常勝
・ 蜷川幸雄
・ 蜷川式胤
・ 蜷川新
・ 蜷川新右衛門
・ 蜷川智蘊
・ 蜷川有紀
・ 蜷川村
・ 蜷川氏
蜷川真夫
・ 蜷川虎三
・ 蜷川親世
・ 蜷川親元
・ 蜷川親元日記
・ 蜷川親当
・ 蜷川親長
・ 蜷川譲
・ 蜷川駅
・ 蜸


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

蜷川真夫 : ウィキペディア日本語版
蜷川真夫[にながわ まさお]

蜷川 真夫(にながわ まさお、1938年 - )はジェイ・キャスト代表取締役。『AERA』元編集長。富山県出身。
==経歴==
富山県立富山中部高等学校東京大学社会学科を卒業後、朝日新聞社に入社した。社会部記者として遊軍を担当。1975年、田中角栄選挙区にある、新潟支局六日町駐在に志願して赴任した。これは立花隆の『田中角栄研究』に触発されたもので、異例の人事だったという。1976年のロッキード事件では新聞だけでなくテレビや雑誌とも協力し、視野を広げた。その後、ニューデリーに特派員として3年間赴任した。
週刊朝日』に移動し、副編集長を務めた。ノンフィクションの連載企画に力を入れ、電子技術の未来の連載を執筆した。その後、1988年に創刊された『AERA』に移動する。AERAには新媒体の研究・創刊準備を行う「A委員会」から参加し、日本初と思われるコンピュータによる雑誌編集を体験した。副編集長から副編集長代理、編集長を経て、発行人となった。
1995年に開設されたasahi.comへの転属を希望し、アサヒ・インターネット・キャスターとなった。この時期に朝まで生テレビ!の臨時司会を担当したこともある。定年前に退職し、1997年8月にジェイ・キャストを設立した。同時にアスキーの顧問を兼務し、石田晴久などと出会った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「蜷川真夫」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.