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蝦夷 : ウィキペディア日本語版
蝦夷[えみし]

蝦夷(えみし、えびす、えぞ)は、大和朝廷から続く歴代の中央政権から見て、日本列島の東方(現在の関東地方東北地方)や、北方(現在の北海道地方)に住む人々を異端視・異族視した呼称である。
中央政権の征服地域が広がるにつれ、この言葉が指し示す人々および地理的範囲は変化した。近世以降は、北海道樺太千島列島およびロシアカムチャツカ半島南部にまたがる地域の先住民族で、アイヌ語母語とするアイヌを指す。
== 語源と用字 ==
蝦夷は古くは愛瀰詩と書き(神武東征記)、次に毛人と表され、ともに「えみし」と読んだ。後に「えびす」とも呼ばれ、「えみし」からの転訛と言われる〔高橋富雄『古代の蝦夷』33頁。〕。「えぞ」が使われ始めたのは11世紀か12世紀である〔高橋崇『蝦夷』25-26頁。工藤雅樹『蝦夷の古代史』26頁。〕。
えみし、毛人・蝦夷の語源については、以下に紹介する様々な説が唱えられているものの、いずれも確たる証拠はないが、エミシ(愛瀰詩)の初見は神武東征記であり、神武天皇によって滅ぼされた畿内の先住勢力とされている。「蝦夷」表記の初出は、日本書紀の景行天皇条である。そこでは、武内宿禰が北陸及び東方諸国を視察して、「東の夷の中に、日高見国有り。その国の人、男女並に椎結け身を文けて、人となり勇みこわし。是をすべて蝦夷という。また土地沃壌えて広し、撃ちて取りつべし」と述べており、5世紀頃とされる景行期には、蝦夷が現在の東北地方だけではなく関東地方を含む広く東方にいたこと、蝦夷は、「身を文けて」つまり、邪馬台国の人々と同じく、入墨(文身)をしていたことが分かっている。
古歌で「えみしを 一人 百な人 人は言へども 手向かいもせず」(えみしは一人で百人と人は言うが、我が軍には手向かいもしない)〔『日本書紀』神武天皇即位前紀。〕と歌われたこと、蘇我蝦夷のように古代の日本人の名に使われたことから、「えみし」には強くて勇敢という語感があったようである〔高橋富雄『古代蝦夷』23頁、『宮城県の歴史』49頁。工藤雅樹『蝦夷の古代史』33頁。〕。そこから、直接その意味で用いられた用例はないものの、本来の意味は「田舎の(辺境の)勇者」といったものではないかという推測がある〔高橋富雄『古代蝦夷』23頁、『宮城県の歴史』49-50頁。〕。
他方でアイヌ語に語源があると考えた金田一京助は、アイヌ語の雅語に人を「エンチュ (enchu, enchiu)」というのが、日本語で「えみし」になったか、あるいはアイヌ語の古い形が「えみし」であったと説いた〔金田一京助「本州アイヌの歴史的展開」(『古代蝦夷とアイヌ』64-65頁)、「蝦夷と日高見国」(110-116頁)、「蝦夷名義考」(同126頁)。〕。
文献的に最古の例は毛人で、5世紀の倭王武の上表文に「東に毛人を征すること五十五国。西に衆夷を服せしむこと六十六国」とある。蝦夷の字をあてたのは、斉明天皇5年(659年)の遣唐使派遣の頃ではないかと言われる〔高橋富雄『古代蝦夷』27-28頁、『宮城県の歴史』52-53頁。〕。後代に人名に使う場合、ほとんど毛人の字を使った。蘇我蝦夷は『日本書紀』では蝦夷だが、『上宮聖徳法王帝説』では蘇我豊浦毛人と書かれている。毛人の毛が何を指しているかについても諸説あるが、一つは体毛が多いことをいったのだとして、後のアイヌとの関連性をみる説である。また、中国の地理書『山海経』に出てくる毛民国を意識して、中華の辺境を表すように字を選んだという説もある〔『山海経』第9海外東経(平凡社ライブラリー 132-133頁)。『工藤雅樹『蝦夷の古代史』46-47頁。〕。
人名に使った場合であっても、佐伯今毛人が勤務評定で今蝦夷(正確には夷の字に虫偏がつく)と書かれた例がある〔高橋崇『蝦夷』16頁。〕。蝦夷の蝦の字については、鬚が長いのをエビに見たてて付けたのだとする説がある〔高橋富雄『古代蝦夷』32-33頁〕。喜田貞吉は、意味ではなく音「かい」が蝦夷の自称民族名だったのではないかと説いた。アイヌ人はモンゴル人から「クイ」、ロシア人からは「クリル」と呼ばれた。斉明天皇5年の遣使の際に、聞き取った唐人が蝦夷の字をあて、それを日本が踏襲したという〔高橋崇は蝦夷の自称とは言わないが、中国側が呼んだものとしてこの説に傾く(『蝦夷』20-21頁)。〕。金田一京助は喜田の説を批判して、「えび」の古い日本語「えみ」が「えみし」に通じるとして付けたとする説を唱えた〔金田一京助「蝦夷と日高見国」(『古代蝦夷とアイヌ』116頁)、「蝦夷名義考」(同127頁)。工藤雅樹もこれを支持する(『蝦夷の古代史』117-118頁)。〕。夷の字を分解すると「弓人」になり、これが蝦夷の特徴なのだという説もある〔高橋富雄『古代蝦夷』32-33頁、『宮城県の歴史』50頁。〕。
諸説ある中で唯一定まっているのは、「夷」が東の異民族を指す字で、中華思想を日本中心にあてはめたものだということである。「夷」単独なら『古事記』などにも普通にあるが、その場合古訓で「ひな」と読む。多くの学者は用字の変化を異族への蔑視の表れとし、蘇我毛人を蘇我蝦夷としたのも『日本書紀』編者が彼を卑しめたものとする〔高橋富雄『宮城県の歴史』53頁。〕。だが、佐伯今毛人の例を引いてこれに反対する意見もある〔高橋崇『蝦夷』22-24頁。〕。
用字については、『日本書紀』では蝦夷の夷の字に虫偏をつけた箇所も散見される〔81例中14。高橋崇『蝦夷』12-13頁。〕。蝦夷の字の使用とほぼ同じ頃から、北の異民族を現す「狄」の字も使われた。「蝦狄」と書いて「えみし」と読んだらしい。毛人と結合して「毛狄」と書かれた例もある〔『日本後紀』延暦16年2月己巳(13日)条。〕。一字で「夷」と「狄」を使い分けることもよくあった。これは管轄する国(令制国)による人工的区分で、越後国(後に出羽国)所轄の日本海側と北海道のえみしを蝦狄・狄、陸奥国所轄の太平洋側のえみしを蝦夷・夷としたのである〔熊田亮介「蝦夷と蝦狄」162-165頁。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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