|
明和の大火(めいわのたいか)とは、明和9年2月29日(1772年4月1日)に江戸で発生した大火災である。 明暦の大火、文化の大火と共に江戸三大大火の一つといわれる。目黒行人坂(現在の東京都目黒区下目黒一丁目付近)から出火したため、目黒行人坂大火とも呼ばれる。 == 火元 == 「明暦3年、明和9年、文化3年各出火記録控」によると、出火元は目黒の大円寺。出火原因は、武州熊谷無宿の真秀という坊主による放火である。真秀は火付盗賊改長官である長谷川宣雄(長谷川宣以の父親)の配下によって明和9年(1772年)4月頃に捕縛され、同年6月21日(1772年7月21日)に市中引き回しの上、小塚原で火刑に処された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「明和の大火」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|