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行田 邦子(こうだ くにこ、1965年9月8日 - )は、日本の政治家。参議院議員(2期)。政治団体「未来の埼玉を創る会」代表。 みんなの党女性局長、みどりの風共同代表、同党代表代行・国会対策委員長〔 - 総務省、(2012年12月28日) ''2013年01月18日閲覧''〕、民主党幹事長代理、参議院消費者問題に関する特別委員長などを歴任した。行田は旧姓。戸籍名は山崎 邦子(やまさき くにこ)〔議員情報 行田 邦子(こうだ くにこ) 参議院ホームページ〕。 == 来歴 == 岩手県遠野市に生まれ、東京都大田区で育つ。生家は工務店を営んでいた。1989年3月、国際基督教大学教養学部卒業。同年4月、株式会社旭通信社に就職。1993年12月、同社を退職。1994年1月、ジャーディンワインズアンドスピリッツ株式会社に転職。1997年12月、同社を退職。1998年1月、株式会社電通に契約社員として入社。2000年4月より正規の社員となる〔。在職中に結婚。 2004年、民主党が実施した国会議員候補者公募に応募し、合格。正規・非正規雇用の格差解消、同一労働同一賃金の実現を訴える。 2007年2月、電通を退職〔。 2007年7月29日執行の第21回参議院議員通常選挙に埼玉県選挙区から民主党公認で出馬。埼玉県に地縁のない新人候補ながら、自由民主党新人の古川俊治、民主党現職の山根隆治の得票数を上回る745,517票を獲得してトップ当選を果たし、定数3の埼玉県選挙区の2議席を民主党が獲得する結果になった。2009年の民主党代表選挙では、鳩山由紀夫幹事長の推薦人に名を連ねる。 2010年9月の民主党代表選挙の際は、小沢一郎を支持。当時の様子を「この間、多くの国民の皆様から激しい罵声や反論を許さない厳しい批判の声や、普通であれば立ち直ることができないような辛辣な言葉を頂いた。」〔- こうだ邦子 活動日記 (2010年9月14日)〕と自ら述べている。 2010年9月、岡田克也民主党幹事長の下、民主党副幹事長に就任。2011年、輿石東幹事長の下でも副幹事長に再任された。また外国人による土地取得に関するプロジェクトチーム事務局長、公務員宿舎のあり方に関するワーキングチーム副座長を務める。2012年、参議院会派「民主党・新緑風会」幹事長代理に就任。また行革調査会筆頭事務局次長、森林・林業調査会事務局次長、地方自治体臨時・非常勤職員問題ワーキングチーム座長を務める。 2012年7月17日、民主党に離党届を提出〔本日離党届を提出しました - こうだ邦子 活動日記 (2012年7月17日)〕。同様に民主党を離党した舟山康江、谷岡郁子及び国民新党を離党した亀井亜紀子、行田の4人は「原発ゼロ社会」「反TPP」「本当の意味での一体改革」「国会改革」等を掲げる新会派「みどりの風」を設立した。舟山、谷岡、亀井、行田の4人による共同代表制。共同代表、国会対策担当に就任。 同年12月26日、第182回国会における内閣総理大臣指名選挙において、行田はみんなの党以外の議員で唯一、渡辺喜美に投票した。 2013年1月18日、みどりの風が政党要件を回復して共同代表制から単独代表制へ移行したため同党代表代行兼国会対策委員長に就任。 2013年2月21日、渡辺喜美から次期参議院議員通常選挙にみんなの党公認で埼玉県選挙区から出馬するよう要請を受ける。これに応じる形で同年3月13日、みどりの風を離党し、みんなの党に入党。 同年7月21日執行の第23回参議院議員通常選挙にみんなの党公認で埼玉県選挙区から出馬し、2期目の当選。同年8月、みんなの党初代女性局長に就任。 2014年11月28日、みんなの党が解党し、無所属となる。同年12月18日、みんなの党に所属していた参議院議員のうち6人で参議院院内会派「日本を元気にする会」(のちに同名の政党設立に伴い会派名を「日本を元気にする会・無所属会」に改称)を結成した。 2015年1月の政党・日本を元気にする会の設立には加わらなかったが、参議院会派は「日本を元気にする会・無所属会」に所属していたが〔、2016年1月6日、元気が参議院で維新の党との統一会派「維新・元気の会」を結成した際に、会派を離脱した〔「あり得ない」維新と元気の参院統一会派に民主が反発 産経新聞〕。 2015年1月20日、政治団体「未来の埼玉を創る会」を設立した〔参議院議員(埼玉県選挙区)こうだ邦子公式サイト > ブログ 〕。行田はこの団体について「埼玉県内のみんなの党OB会のようなもの」と述べ、会員相互の情報交換や勉強会、地方選挙の相互支援を行うとしている。また、「会としてほかの政治団体や政党と連携することもないが、会に参加する個人個人が政党や政治団体に所属することも自由」としている〔。 同年11月13日、埼玉県選挙管理委員会に政治団体「みんなの党」の設立を届け出た。行田が代表を務め、国政政党としての復帰を目指し当面は一人で活動する。なお、この届け出に関して行田は渡辺喜美元代表から了承を得たと発表した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「行田邦子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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