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衛君 起(えいくん き、生没年不詳)は、衛の第32代君主。霊公の子。在位中に放逐されたため諡号がなく、衛君起と呼ばれる。 == 生涯 == 荘公3年(前478年)10月、晋が衛を攻撃し、荘公が出奔したため、衛の国人は公子斑師(はんし)〔襄公の孫。『左伝』では般師と表記。〕を立てて衛君とした。しかし、12月に斉が衛を攻撃して斑師を捕らえ、代わりに公子起を立てたため、公子起(以降は衛君起と表記)が衛君となった。 衛君起元年(前477年)夏、卿の石専(石圃)が衛君起を放逐し、衛君起は斉へ出奔した。これにより出公が斉から戻ってふたたび衛君となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「衛君起」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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