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衛生兵(えいせいへい、)は、軍隊において医療に関する業務を行う戦闘支援兵科の一種である。その任務の特殊性と専門性及び人道上の理由から、戦時国際法上で他の兵科の軍人とは異なる各種の保護資格等が与えられている。 なお国際法上の「衛生兵」という場合、医師(軍医・医官)、歯科医師(歯科医官)、薬剤師(薬剤官)、看護師(看護官、看病人、看病夫、看護卒、看護兵)、その他の医療関係者を全て含む(どのように医療・衛生関係の軍人を区分するか、又はどのような名称を付与するかは時代や国によって大きな差異がある)。 == 概要 == 衛生兵は医療に関わる一般的な業務を任務とする。戦闘での負傷兵への応急医療だけでなく、後方での傷病兵の看護及び治療、部隊の衛生状態の維持を担当する。また寒冷地・熱帯地などの疾病地域においては、予防医学の指揮をとり(例:凍傷やマラリアの予防教育、予防措置等)、また食物や水の衛生管理などの防疫業務などをも担当する。一般的に衛生兵は師団において2パーセントから5パーセントの程度の人員を占め、彼らによって衛生大隊が編成される(もちろん、国や時代により部隊編成規模の差異はかなり大きな幅がある)。 第二次世界大戦時の日本陸軍では、「隊付衛生兵(隊附衛生兵)」と「病院付衛生兵(病院附衛生兵)」に二分されていて前者は部隊所属で後者は病院所属だった。両者は入営直後から教育課程が異なる。「病院付衛生兵」は陸軍病院の教育部に入営し、医学の講義と、実地習練としての病棟勤務を課せられる。数ヵ月ごとの交代で連隊(聯隊)の医務室で軍医の助手を務めるが、基本的に陸軍病院勤務に終始する。それに対して「隊付衛生兵」は一般の歩兵・砲兵・騎兵・工兵・輜重兵・航空兵の中から選抜される。入営から三ヵ月後に、師団長による第一期検閲が行われるが、その直後に上等兵候補者や特業兵(銃工兵・靴工兵・縫工兵・蹄鉄工兵・鳩兵・喇叭兵等)とともに「隊付衛生兵」が指名される。それと同時に「隊付衛生兵」に指名された者は兵科兵から衛生部兵に所属が変わり、たとえば歩兵であれば襟章や胸章(兵科章)の色が兵科の緋色から衛生部の深緑となる。 しかし、居住場所はあいかわらず入営部隊の内務班であり、衛生兵教育は連隊の医務室と陸軍病院で行われた。各連隊では週に2回の演習日があり、「隊付衛生兵」はかならず繃帯嚢を下げて参加しなければならなかった。このように「病院付衛生兵」と「隊付衛生兵」とでは、教育内容も看護能力も大きく異なっていたのである。そのためか、「隊付衛生兵」は戦闘経験のない者達からはヨーチンと蔑称され、外用薬としてヨーチンを使うことしか医療技術を持っていない者とされていた(「楽な任務」を指す戯言で「一にヨーチン、二にラッパ」などとも言われていた)。何故なら、診断及び治療は軍医の仕事であり、衛生兵が独断で治療できるのは小さなキズ、行軍中にできる足のマメ、インキンなど一部の皮膚病くらいなもので、それこそヨーチンで事足りるからであった。しかし、「隊付衛生兵」の重要な任務に、戦場で敵弾に倒れた兵士を弾の飛び交うなか後方へ後退させる事があった。戦地において兵士は勝手に後退することが許されず、また、負傷した戦友を置いて前進することもあったので、戦闘中に負傷した兵士は衛生兵がくると一安心であった。それゆえ実戦を経験した兵士達は「ヨーチン」ではなく「衛生兵殿」と敬意をこめて呼んでいたとされる。また、「衛生兵」という呼称は1937年の昭和12年2月12日勅令第13号陸軍兵等級表改正に伴って生まれた新しい呼称であり、それ以前は「看護兵」さらにそれ以前は「看護卒」と呼ばれていた。そのために、昭和初期頃は衛生部に属する兵のことを「ごっさん」と愛称していたそうである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「衛生兵」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Combat medic 」があります。 スポンサード リンク
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