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衛 子夫(えい しふ、? - 紀元前91年)は、前漢の武帝の皇后。母親は婢であった衛媼(えいおん)。息子に劉拠(戻太子)、姉に衛君孺〔「皇帝たちの中国」岡田英弘 著 ISBN-10:4-562-03148-4〕、妹に衛子女、弟に大将軍となった衛青がいる。衛青の父親が下級官吏の鄭季(ていき)とされており、衛子夫の父親も鄭季とする説がある。 武帝の姉である平陽公主に引き立てられ、武帝の寵姫となる。背景に陳皇后と平陽公主の対立があった。子の戻太子が皇太子に立てられた後、紀元前128年に寵姫から皇后に昇格する。 巫蠱の乱で罪に問われ、自殺を強いられた上、皇后の位を廃された。 のち、曾孫である宣帝によって皇后の位を回復され、思皇后の諡号を贈られた。これは中国史上、皇后が自身の謚号を持つ最初の例となった。 == 脚注 == 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「衛子夫」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Empress Wei Zifu 」があります。 スポンサード リンク
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