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衛藤征士郎 : ウィキペディア日本語版
衛藤征士郎[えとう せいしろう]

衛藤 征士郎(えとう せいしろう、1941年4月29日 - )は、日本政治家自由民主党所属の衆議院議員(11期)。
衆議院副議長(第64代)、防衛庁長官第57代)、参議院議員(1期)、大分県玖珠郡玖珠町長(2期)〔衛藤 征士郎(えとう せいしろう) 〕等を歴任した。
== 来歴 ==

当時日本の統治下であった朝鮮半島南部全羅南道康津に生まれる。父・衛藤貫一は警察官1945年9月、終戦により日本へ引き揚げ大分県玖珠郡玖珠町で育つ。1948年、玖珠町立日出生小学校に入学するが、1950年に玖珠町立森小学校に転校。1957年大分県立森高等学校に進学するが、同年9月から休学。1959年に高校に復学し、1962年に高校卒業。上京し、早稲田大学第二政治経済学部に入学する。1964年、学内の転部試験に合格し、早稲田大学第一政治経済学部に転部。在学中は吉村正教授に師事し、1966年に卒業。同年、早稲田大学大学院政治学研究科国際政治専修修士課程に進学し、政治学修士号を取得する。
1970年大分県玖珠郡玖珠町に戻り、豊後森駅前のビルの一室に「衛藤征士郎政治経済研究所」を開設。翌1971年玖珠町長選挙に立候補し、当選。玖珠町長は1977年まで2期務める。1977年第11回参議院議員通常選挙に、政治団体「国政に新風を送る会」公認で大分地方区から出馬し、当選。1983年第37回衆議院議員総選挙に立候補し、衆議院に転出。旧大分1区(定数4)から無所属で出馬し、得票数4位の最下位ながら当選した。以後、衆院当選10回。1986年第3次中曽根内閣農林水産政務次官に任命される。
1995年村山改造内閣防衛庁長官に任命され、初入閣した。1998年大勇会(河野グループ)の旗揚げに参加。2000年第2次森改造内閣外務総括政務次官に閣僚経験者ながら任命され、中央省庁再編後は初代外務副大臣を務める。外務副大臣在任中、台湾総統(当時)・李登輝の訪日を実現した。なお当時の外務大臣だった河野洋平は、李登輝へのビザ発給に最後まで難色を示していたため、衛藤は河野に抗議し、大勇会を退会した。その後、清和政策研究会に入会する。2007年12月、「自由民主党朝鮮半島問題小委員会」を自由民主党政務調査会内に立ち上げ、委員長に就任した。2008年自由民主党総裁選挙では、同じ町村派に所属していた小池百合子の推薦人代表を務めた。
2009年第45回衆議院議員総選挙では自民党公認、公明党推薦〔比例貢献が基準公明が自民92候補を推薦(2009年7月30日20時25分 読売新聞)〕で出馬。大分2区社会民主党重野安正に5千票弱の僅差で敗れるが、重複立候補していた比例九州ブロックで復活。同年9月16日より衆議院副議長に就任。
2012年11月16日、衆議院解散近いうち解散)により副議長を退任。同年の第46回衆議院議員総選挙では、引退する重野に代わり出馬した社民党新人の吉川元を破り、大分2区で10選(吉川は比例復活)。2013年1月、自由民主党外交・経済連携本部長(党則第83条に基づく総裁直属機関) に起用された。2014年第47回衆議院議員総選挙で11選。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「衛藤征士郎」の詳細全文を読む



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