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衣笠景延 : ウィキペディア日本語版
衣笠景延[きぬがさ かげのぶ]

衣笠 景延(きぬがさ かげのぶ、天文16年(1547年) - 寛永8年3月18日1631年4月19日))は戦国時代から江戸時代の武将、福岡藩士。端谷城主。黒田二十四騎の一人。通称は久右衛門(きゅうえもん)、因幡守。号は卜斎。別名は佐範、景信。子に左兵衛、左近がいる。
小寺家から与力として黒田家に移り、黒田職隆に小姓として仕えた。天正5年(1577年)の英賀合戦の際に包囲された栗山利安を救い、旧主小寺家への使者を務める。小寺政職の死後、黒田孝高の命により遺児の氏職を探し出し、播磨国に連れ帰った。
天正15年(1587年)の豊前一揆では、姫隈城の日熊直次を降した。文禄・慶長の役では後藤基次と先鋒についた。関ヶ原の戦いでは松山城を守備。慶長6年(1601年)、黒田氏が筑前国に入国した後に、中老並みの3,000石を拝領。
寛永8年(1631年)3月18日、85歳で死去(79歳とも〔安藤英男『黒田官兵衛のすべて』中経出版、2013年〕)。
智謀、歌道に秀でた。
==脚注==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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