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袁枢[えん すう]
袁枢(えん すう、1131年 - 1205年)は、南宋初期の中国の歴史学者・政治家。字は機仲。西山先生と称せられた。 == 経歴 == 建安(福建省建甌市)の出身。1163年に進士となり、1171年に礼部試官となり、大官におもねるということがなかったため、地方に出され温州判官・厳州教授を歴任。司馬光の『資治通鑑』を愛読し、書かれている事件を理解しやすくするため記述の体裁を変えて『通鑑紀事本末』42巻を編纂した。参知政事であった龔良茂がこの著を孝宗に献じ、孝宗は嘉納した上で東宮(太子)などに与え、袁枢を大宗正簿とした。太府丞に国史院編修を兼ねていたさい、同郷である章惇の伝記をつくるにあたり、章惇の子孫に潤色することを求められたが断固として断った。また、殿中侍御史・冷世光を弾劾したこともある。大理少卿、工部侍郎兼国子監祭酒をへて、寧宗の時代に右文殿修撰となりさらに知江陵府となり良政を施し、領民に感謝された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「袁枢」の詳細全文を読む
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