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裏松家(うらまつけ)は、藤原北家烏丸庶流の公家である。家格は名家。江戸時代前期の権中納言烏丸光賢の次男・参議資清を祖とする。江戸時代の石高は130石〔公卿類別譜(公家の歴史)裏松 〕。光世(固禅)は有職故実家として知られる。宝暦事件に連座し永蟄居となったが、この間に『大内裏図考證』を著した。この大内裏の考証は天明8年(1788年)の皇居焼失に際し、老中松平定信の指揮による皇居再建に当たって古式に則った再建に大きな役割を果たした。明治維新の後、良光が子爵に叙せられ、陸軍少佐、貴族院議員を務めた。友光も貴族院議員を務めた〔〕。 ==系譜== ;実線は実子、点線(縦)は養子。 } 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「裏松家」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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