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補陀落渡海[ふだらくとかい]
補陀落渡海(ふだらくとかい)は、日本の中世において行われた、捨身行の形態である。 == 概要 == この行為の基本的な形態は、南方に臨む海岸に渡海船と呼ばれる小型の木造船を浮かべて行者が乗り込み、そのまま沖に出るというものである。その後、伴走船が沖まで曳航し、綱を切って見送る。場合によってはさらに108の石を身体に巻き付けて、行者の生還を防止する。ただし江戸時代には、既に死んでいる人物の遺体(補陀洛山寺の住職の事例が知られている)を渡海船に乗せて水葬で葬るという形に変化する。 最も有名なものは紀伊(和歌山県)の那智勝浦における補陀落渡海で、『熊野年代記』によると、868年から1722年の間に20回実施されたという〔『勝手に関西世界遺産』朝日新聞社2006年、182-184ページ〕。この他、足摺岬、室戸岬、那珂湊などでも補陀落渡海が行われたとの記録がある。 熊野那智での渡海の場合は、原則として補陀洛山寺の住職が渡海行の主体であったが、例外として『吾妻鏡』天福元年(1233年)五月二十七日の条に、下河辺六郎行秀という元武士が補陀洛山で「智定房」と号し渡海に臨んだと記されている。 補陀落渡海についてはルイス・フロイスも著作中で触れている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「補陀落渡海」の詳細全文を読む
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