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裴矩[はい く] 裴矩(はい く、557年 - 627年)は、中国・隋代より初唐代にかけて活躍した功臣。河東郡聞喜県(山西省聞喜県)の出身。字は弘大、敬と諡される。父親は、北斉朝に仕えた。 == 生涯 == 578年、北周朝の大司馬であった楊堅に従い、隋朝が成立してからは、南朝・陳討伐軍に加わった。嶺南地方の攻略に遣わされ、また、牛弘による『隋朝儀礼』編纂に関わった。その他、『開業平陳記』をも撰した。 590年、聞喜県公の爵を受けて、民部侍郎となり、内史侍郎、吏部侍郎を歴任した。 604年、煬帝が即位すると、東京洛陽府の造営に尽力した。また、605年より610年の間に、4度以上河西地方に派遣されている。605年の第一回の遠征の時に、『隋西域図記』3巻を撰して煬帝に献上した。また、中国に帰朝すると、黄門侍郎となって、「選曹の七貴」の一人に数えられている。 611年、高句麗遠征に従軍した。隋末、宇文化及に仕えていたが、竇建徳に捕らえられる。621年に竇建徳が唐朝によって滅ぼされると、唐朝に帰順の意を表した。
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