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裴諏之[はい しゅし] 裴諏之(はい しゅし、生没年不詳)は、中国の北魏末から西魏にかけての人物。字は士正。本貫は河東郡聞喜県。裴譲之の次弟にあたる。 == 経歴 == 裴佗と辛氏のあいだの子として生まれた。若くして儒学を好み、太学博士を初任とした。司空の高乾は諏之の名声を聞いて戸曹参軍として招こうとしたが、諏之はこれを断った。沛王元欣が大司馬府を開くと、記室として召された。東魏が鄴に遷都すると、諏之は河南にとどまった。西魏の独孤信が洛陽の金墉城に入ると、諏之を開府属として招き、「洛陽の遺彦」と称した。独孤信が洛陽を失陥したとき、諏之は南山にいたが、洛州刺史の王元軌に召されて中従事となった。西魏軍がやってきてまもなく撤退すると、諏之は西魏軍に従って関中に入った。宇文泰の下で大行台倉曹郎中となり、死去した。徐州刺史の位を追贈された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「裴諏之」の詳細全文を読む
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