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襲髄命 : ウィキペディア日本語版
野見宿禰[のみのすくね]

野見宿禰(のみのすくね)は、土師氏の祖として『日本書紀』などに登場する人物である。阿陀勝来日田維穂命の父。
== 人物 ==
天穂日命の14世の子孫であると伝えられる出雲国の勇士で、第12代の出雲国造である鵜濡渟(宇迦都久怒)の子。またの名を襲髄命という〔『出雲国造伝統略』〕。垂仁天皇の命により当麻蹴速角力(相撲)(『日本書紀』では「捔力」に作る)をとるために出雲国より召喚され、蹴速と互いに蹴り合った末にその腰を踏み折って勝ち、蹴速が持っていた大和国当麻の地(現奈良県葛城市當麻)を与えられるとともに、以後垂仁天皇に仕えた〔『日本紀』垂仁天皇7年条〕。また、垂仁天皇の皇后日葉酢媛命の葬儀の時、それまで行われていた殉死の風習に代わる埴輪の制を案出し、土師臣(はじのおみ)のを与えられ、そのために後裔氏族である土師氏は代々天皇の葬儀を司ることとなった〔『日本紀』垂仁天皇32年条。なお、垂仁天皇の漢風諡号である「垂仁(を垂れる)」は、この殉死を廃止したとの説話に因むものである。〕。第13代の出雲国造、襲髄命はこの野見宿禰のことである〔『出雲国造伝統略』。この説によれば、土師氏のみならず出雲氏(出雲国造)の祖先でもあることになる。〕。播磨国の立野(たつの・現在の兵庫県たつの市)で病により死亡し、その地で埋葬された〔『播磨風土記揖保郡立野条。〕。
ところで、埴輪創出についての考古学的な知見からは、記紀が語る上述のような伝説は史実ではないとされているが〔詳しくは埴輪の項目を参照。〕、こうした伝説も土師氏と葬送儀礼との関係から生まれたものであろうとの説がある〔西郷「ノミノスクネ考」。〕。それによると、まずその名前は、葬送儀礼の一環としての古墳の築営に際して、様々な条件を吟味した上での適当な地の選定ということが考えられ、「野」の中から墳丘を築くべき地を「見」定めることから「野見」という称が考案されたのではないかとし、次に相撲については、古墳という巨大な造形物を目の当たりにした人々が、これを神業と見て、その任にあたった土師氏の祖先はさぞかし大力であったろうとの観念に基づくものではないかと見る。そして、土師氏が古墳造営を含めた葬送儀礼全般に関わったことから、これを死の国と観想された出雲国に結びつけ、その祖先をあるいは出雲出身としたり、あるいは都と出雲の中間である播磨国に葬られたとしたのではないかと見、最後に火葬の普及などの変遷を経て古墳時代が終焉を迎える頃、その技術が不要とされた土師氏が、自らの祖先の功業を語る神話として大事に伝承したものであろうと説く。もっとも以上の説の当否はともかくとして、少なくとも野見宿禰が祖先として土師氏に崇められたことは確かである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Nomi no Sukune 」があります。



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