|
西クシャトラパ(西暦35年 - 405年)はインドの西部、及び中部(サウラーシュトラとマールワ:現在のグジャラート州、マハラシュトラ州、ラージャスターン州、そしてマディヤ・プラデーシュ州)を支配した王国である。サカ人はこの王国で大きな役割を果たしたと言われている。インド亜大陸北部を支配したクシャーナ朝や中央インドを支配したサータヴァーハナ朝(アーンドラ朝)と同時代の王国であった。 ''クシャトラパ''と言う単語は''サトラップ''と同様であり、ペルシア語の''クシャトラパーヴァン(Ksatrapavan)''に相当し、元来は州の総督、または知事を意味した。 == 歴史 == 最初のクシャトラパは北西インドからマトゥラーまでを統治し、恐らくはクシャーナ朝の王に任じられた総督であった。クシャーナ朝がインドの支配のために特別の将軍を置いたことは『後漢書』などに記録されている。彼らは次第に自立的傾向を強め、クシャーナ朝やサータヴァーハナ朝などの影響力を排除して独立勢力となったが、総督に由来するクシャトラパという名前・称号はそのまま用いられた。 クシャトラパ王朝はナハパーナが王位を継承するとともに極めて強力になった。ナハパーナはサータヴァーハナ朝の西部、及び中央インドの広大な領域を占領したが、最後は125年に、サータヴァーハナ朝の強力な王ガウタミープトラ・シャータカルニによって破られた。しかしながら、ナハパーナは西方に強力な拠点を構築し、彼の後継者はそこから利益を得る事ができた。彼はまたクシャトラパの貨幣制度を確立した。 クシャトラパ王朝は2世紀のルドラダーマン王や後のルドラセーナ2世(256年 - 278年)の治世には非常に繁栄した。最後のクシャトラパ王はヴィスヴァセーナの兄弟である後継者バーラトラダマンであり、彼はルドラセーナ2世の息子であった。 新たな王家がルドラシムハの下で統治したが、結局グプタ朝のチャンドラグプタ2世によって征服された。 クシャトラパ王朝は1つの暦を確立した。この暦は西暦78年に始まり、サカ時代の始まりを明らかにする。また、この年は今日のインド共和国で公式に使われる暦の1つ、サカ暦の初年でもある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西クシャトラパ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|