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西原 春夫(にしはら はるお、1928年3月13日 - )は、日本の法学者。専門は刑法。東京都出身。早稲田大学第12代総長、早稲田大学名誉教授。法学博士(早稲田大学)。特定非営利活動法人アジア平和貢献センター理事長。 == 略歴・人物 == 東京都武蔵野市吉祥寺出身。1941年成蹊小学校卒業、1948年旧制成蹊高等学校卒業。1948年と1949年に東京大学を受験するが不合格となり、1949年に早稲田大学第一法学部(3年次)に入学する。1951年に同学部を卒業。1951年同大学大学院法学研究科修士課程に入学し齊藤金作に師事する。同大学副手就任。1953年に同研究科博士課程入学後、同大学助手に就任する。1956年に同研究科博士課程を修了。 1959年早稲田大学専任講師、1962年同大学助教授、1967年同大学教授。同大学法学部学生担当教務主任(1968年~1970年)、法学部長(1972年~1976年)、理事(1978年~1980年)、常任理事(1980年~1982年)を歴任。学生担当教務主任時代は大学紛争、法学部長時代は川口大三郎事件、理事時代は入試不正事件、常任理事時代は所沢・幕張論争の処理に追われた。1982年の総長就任後は、日本私立大学団体連合会会長(1980年~1992年)や文部省大学設置・学校法人審議会会長(1991年~1993年)を兼任し、私学の顔として活動した。1990年に早稲田大学総長を退任。1995年から1998年まで早稲田大学ヨーロッパセンター(ボン)館長を務める。1998年に早稲田大学を定年退職後は、学校法人国士舘の理事長の職にあたり、2005年からは名誉顧問に就任。2005年、特定非営利活動法人アジア平和貢献センターを設立し、理事長に就任(2012年より一般財団法人)。2007年、学校法人常磐大学特別顧問就任。2011年、財団法人(2013年より公益財団法人)矯正協会会長。 草野豹一郎(大審院判事)・齊藤金作と続く、早稲田刑法学の継承者として学究活動を行う。間接正犯の研究を行った後、高度成長期の新旧過失論争に際しては、藤木英雄らと共に新過失論を展開した(藤木・板倉宏はその後、新・新過失論を提唱するに至る)。なかでも、信頼の原則を日本で初めて紹介し、交通事犯における過失論研究の第一人者となった。早稲田刑法学の独自色たる共犯論の分野においては、師の草野・齊藤に従い共同意思主体説を主張した。 弟弟子に当たる人物として、早稲田大学法学学術院教授の曽根威彦がおり、早稲田大学の大学院博士前期課程在籍中の1969年に恩師である齊藤金作が死去した為、曽根は西原にも兄事していた。 また、学究活動の一方で、早稲田大学総長や日本私立大学団体連合会会長等、学内外の行政活動においても活躍した。取り分け、西原が総長を務めた当時(80年代)の早稲田大学は、折からの私学ブーム(共通一次試験の導入と、ラグビーブームが有力私立大学の隆盛をもたらした)も手伝って、絶頂期を迎えた。受験志願者数で圧倒的優位を占めた他、政治経済学部の受験偏差値が東京大学に並んだのもこの頃であった(勿論、受験科目数などが異なるので単純比較は出来ない。あくまで当時のメディアの論調である)。実社会においても、上場企業の役員を最も多く輩出したり(90年代に入って、慶應義塾大学に逆転される)、時の政界の最大派閥(経世会)を牛耳ったりと、その勢いたるやフィクサーかの如く凄まじいものがあった。 大阪市立大学元教授(商法)の西原寛一は叔父、神戸大学名誉教授(民法)の西原道雄は従弟、大阪市立大学名誉教授(商法)の古瀬村邦夫は従妹の夫、早稲田大学名誉教授(刑事政策)の須々木主一は義理の弟、早稲田大学社会科学総合学術院教授(専門は比較憲法学)の西原博史は、実子である。 2007年11月、叙勲(瑞宝大綬章)。1991年、ドイツ連邦共和国より第一級功労十字勲章受章。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西原春夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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