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西友リテールサポート(せいゆうりてーるさぽーと)は、東京都品川区に本社を置く労働者派遣事業者(西友の完全子会社)。前身は、雑誌広告の通信販売やテレビショッピングの嚆矢として著名だった、二光株式会社(にこう)〔現在のスタジオアルタの場所に旗艦店を構えていた、高級食料品商社の二幸(にこう、三越の小会社でハロッズ等の代理店)とは無関係〕。 == 概要・沿革 == 1963年(昭和38年)、宝利貢がビルの1室で創業し、青少年向け雑誌広告を介した通信販売で業績を急拡大した。1967年(昭和42年)、二光通信販売株式会社に改組。初期の主力商品は無線機〔光波無線、日新電子工業、江角電波研究所、ミズホ通信などの製品をニコルス技研名義で販売〕やオーディオ機器、天体望遠鏡〔主に東和光器製作所製〕、楽器などで、商品先渡しの分割払い可能とした事から、学生ら若年層に浸透した。 とりわけ、直営のビバ楽器を通じ店頭発売もされた『トムソン』〔他に『トーマス』『ハリー』『ヒルビリー』『グランドキャニオン』も用いた〕ブランドの格安ギター〔初期には木曾鈴木バイオリン、寺田楽器製作所、東海楽器製造、フェニックス楽器、すがの木工、ヤマキ楽器など国内メーカーのOEMだったが、1970年代後半以降の廉価品は韓国製が占めるようになる〕〔『ジャパン・ヴィンテージ Vol.6』(シンコーミュージック・エンタテイメント、ISBN 4-401-63044-0)で特集〕や電子オルガン〔ACE TONE(エース電子工業=ローランドの前身)や、京王技研のOEM〕は、「ナウなヤング」の間で圧倒的人気を博した〔ギターウルフのセイジが永年愛用〕。 1976年(昭和51年)に、青のNとiを合わせたものを、赤のCで囲ったマークに、毛筆体の『二光』を組み合わせたロゴを採用し、直販店舗網を全国展開し始めた。1970年代末には逸早くテレビショッピング(二光お茶の間ショッピング)に進出し、また、雑誌広告も『二光テレコムショッピング』、『二光プラザ』等のタイトルで引き続き手掛け、ヒット商品を数多く生み出した。また一時、本社そばの小岩駅前で精力剤専門の二光薬局を営業していた〔業績の急拡大により、法令遵守など社内統制、教育が追い付かず、薬事法違反などで摘発を受けた〕。 1987年(昭和62年)、西友の資本参加を受けて二光株式会社に改称。ビバ楽器は分社化され独立し、また宝利ら旧経営陣も二光薬局を基に新光通販株式会社を立ち上げて独立した〔『宝力本舗 』『くみあい市場 』等の屋号を用い、精力剤やシークレットシューズ等を扱っている〕。 実質的に西友の通信販売部門を担い、西武ライオンズのキャラクターグッズの販売窓口も兼ねる傍ら、雑誌・新聞媒体の通信販売やテレビショッピングを引き続き手掛けた。その後のバブル崩壊による消費低迷を受け、本社を江戸川区小岩から、千代田区岩本町、同区麹町と転々とした後、千葉県柏市に落ち着いた。 西友がウォルマート・ストアーズ傘下に入った2002年(平成14年)以降、主に西友グループ向けの人材派遣事業(業務請負)も手掛けるようになった。2008年(平成20年)2月、過当競争の激しい通信販売関連事業から撤退し、人材派遣事業に専念する方針を表明〔通信販売事業及び通信販売後方支援サービス事業の廃止に関するお知らせ (西友、2008年1月21日)〕。柏市の本社は同年11月に閉鎖され、西友赤羽店内へ移転したが、同業他社の相次ぐスキャンダルで法的規制が強化されることになり、先行きは不透明化した。 2009年(平成21年)1月1日より株式会社西友リテールサポートへと社名変更、同年6月16日よりチェッカー業務から撤退し、深夜早朝業務のみを請け負うようになった。サンシャイン60の本社内に「管理部」が置かれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西友リテールサポート」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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