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西園寺公衡[さいおんじ きんひら]
西園寺 公衡(さいおんじ きんひら)は、鎌倉時代後期の公卿。従一位左大臣。竹林院左大臣、または竹中と号する。父は太政大臣西園寺実兼。母は内大臣中院通成の娘顕子。 == 人物像 == 1283年(弘安6年)に参議、権大納言、内大臣等を経て、1309年(延慶2年)に左大臣を務める。1299年(正安元年)のとき右大臣に就き、更に父実兼の関東申次を継ぎ、大覚寺統・持明院統問題に際して権力を振りかざす。だが、後宇多上皇に内緒で常盤井宮恒明親王擁立に動いたことで勘事を被り、大覚寺統から忌避されるようになると権力は衰えた。 嘉元4年(1306年)、一族繁栄と自身の長寿を祈願して「不空羂索神咒心経」を書写(現在は東京国立博物館蔵、重要文化財。e国宝に画像と解説あり )し、その12日後恩赦されている。更に延慶2年(1309年)頃、これまでの一族繁栄への感謝とこれからの更なる繁栄を願って、『春日権現験記絵』(詞書鷹司基忠父子ら4人、絵高階隆兼)を制作させた。その後、1311年(応長元年)出家。1315年(正和4年)薨去。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西園寺公衡」の詳細全文を読む
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