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西大路家(にしおおじけ)は、羽林家の家格を持つ公家である。藤原北家末茂流であり四条家の分家である。家業は、書道である。家紋は、田字草。江戸時代の家禄は100石。明治維新後、隆修が子爵に叙せられた。 == 概要 == 古文書によると四条隆綱を祖とする場合と孫の四条隆政を祖とする場合とがあり明確には分かってはいない。西大路隆仲の代から西大路の姓が明記されている。隆仲以降公卿を代々輩出していたのであったが西大路隆範の代に中絶。その後広橋総光の子西大路隆郷が西大路家を再興し1708年に公卿に再び任命されてから幕末まで代々公卿に任命された。江戸時代の西大路家の石高は100石であった。 菩提寺は龍光院である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西大路家」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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