翻訳と辞書
Words near each other
・ 西宮市立苦楽園中学校
・ 西宮市立西宮東高等学校
・ 西宮市立西宮浜中学校
・ 西宮市立西宮養護学校
・ 西宮市立西宮高等学校
・ 西宮市立香櫨園小学校
・ 西宮市立高木小学校
・ 西宮市立高須中学校
・ 西宮市警察
・ 西宮市貝類館
西宮弘
・ 西宮後駅
・ 西宮悠介
・ 西宮戎神社
・ 西宮戎駅
・ 西宮成田山
・ 西宮東口駅
・ 西宮東郵便局
・ 西宮東高校
・ 西宮殿


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

西宮弘 : ウィキペディア日本語版
西宮弘[にしみや ひろし]
西宮 弘(にしみや ひろし、1906年5月14日 - 2003年11月22日)は、日本の官僚政治家茨城県水戸市出身。
== 来歴・人物 ==
内務省、戦後に自治省係長、岩手県出納長宮城県副知事日本社会党所属の衆議院議員
岩手県出納長を経て、1956年10月に新たに宮城県知事に就任した大沼康の副知事に任命される。1959年3月、大沼の急逝を受けて知事選に立候補したが、落選。翌1960年第29回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で宮城1区から出馬し初当選。1963年に再度、宮城県知事選に立候補するが落選。同年の第30回衆議院議員総選挙に再出馬し当選した。
国会では統一教会霊感商法を初めとする様々な問題を取り上げ、政府に対処を迫った。全金本山労働組合争議では、支援共闘会議議長を担う。支援集会後のデモ行進で揉みあいとなった機動隊から暴行を受け、怪我を負ったこともある。また、世界連邦運動推進団体・世界連邦日本国会委員会第6代事務総長を務めた。議員末期は社会党を除名され、1980年の衆議院選挙(無所属で立候補)で落選し、1983年参議院議員通常選挙でMPD・平和と民主運動(比例区)から立候補・落選以降は政界を引退し、仙台市内で労政事務所を開いていたほか、平和運動を担い、市内で集会や公開講座などを開いていた。また、中央通りでの「辻説法」は、政界引退後のライフワークとしていた。
社会党では派閥につくことはなかったが、江田三郎を偲ぶ本が出版されたときは、親交があったのか文章を寄せている。このことから思想的には右派に属していた。国会議員に就任していれば、引退後いわば「自動的」に授与される叙勲については、社会党議員でも授与された議員が多い中、一貫して辞退していた。
冤罪の疑いのある丸正事件の被告で、無期懲役に処せられた李得賢の仮釈放に助力した〔後藤昌次郎著『無実 冤罪事件に関する12章』(1980年、三一書房)、86ページ。〕。
2003年11月22日午前11時33分、肺炎のため、仙台市青葉区の福祉施設で死去、享年97。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「西宮弘」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.