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大高(おおたか)は、岡山県倉敷市倉敷にある地域である。 広義では、かつての都窪郡大高村(おおたかそん)の大部分に相当する。 狭義では、広義の大高を3つに分けた中の西部にあたり、その前身の同郡大市村(おおいちそん)におおむね相当する(葦高村の一部も含む)。近年、人口増加に対応し、新たに同地南部を学区とする倉敷南小学校を新設した。つまり狭義の大高は、現在の大高小学校区および倉敷南小学校区におおむね相当する。 現在は大高といえば、狭義の大高を指す場合が多いが、広義の大高は、市の農業委員会の地区分けなどで使用されている。また倉敷市の町名別人口統計では、葦高と狭義の大高とをまとめて大高としている(中義の大高)。 == 概要 == 倉敷市中心市街地の南西から南部かけての郊外に位置する。全域が平地である。 広義の大高は、大高・葦高・老松〔現在の老松学区には旧万寿村の一部が入っている。〕の3地区に小学校区(大高のみ旧学区)を基準に分かれる。 老松は市街地すぐ西方に位置し、市街地に接するあたりは、市街地から連続した都市を形成。老松のそれ以外の地区や大高・葦高は、郊外に広がる地域である。元々は農村地帯で、近郊農業がさかんであり、米・イグサ・野菜・果実などの生産で知られていた。しかし、その後モータリゼーションの発達と共に大型の幹線道路〔当地を通る岡山県小津274号線は、当地の名を冠して、通称大高街道と呼ばれる。新道の方は新大高街道(しんおおたかかいどう)と呼ぶこともある。〕が地域内を幾つも通過し、なおかつ倉敷市役所が当地内に新設されるなどし、農地は激減するとともに、ロードサイド店舗や新興住宅地が急増した〔岡山県大百科事典編集委員会編集『岡山県大百科事典』(1979年)山陽新聞社〕。 1968年(昭和43年)には人口増加に対応し笹沖に葦高小学校が新設され、同学区となる南東地区が葦高として別地域と区域されるようになる。同様に昭和53年には水島北部の連島に旭丘小学校が新設され、福井の一部が同学区へ編入した〔倉敷市立大高小学校 〕。 現在は完全に典型的郊外型市街地に変貌している。道路交通においても、経済面においても中枢的な地域となった。 平成に入り宅地開発が一層進み、そのためさらなる人口増加に対して2008年(平成20年)に大高南部を学区とする倉敷南小学校が新設されている〔倉敷南学区には、葦高の一部も含まれているが、便宜上、倉敷南学区も大高の一部として当ページで記述する。〕。なお前述の通り、狭義の大高と葦高を合わせたものを中義の大高とし、老松は別地区とする場合がある。 以降は、狭義の大高の地域について記述する。 ''老松・葦高については、「老松」「葦高」をそれぞれ参照。'' 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大高 (倉敷市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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