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西山朝[せいざんちょう]
西山朝(せいざんちょう、タイソン朝、ベトナム語:''Nhà Tây Sơn''、家西山)は、1778年から1802年の間、ベトナムに存在した短期王朝。この期間の一連の出来事は西山党の乱(タイソン党の乱)とも呼ばれる。 ==背景== 18世紀のベトナムでは、黎朝の皇帝が名目上のものとなり、北部は鄭氏が北河国(中国呼称:交趾国、日本呼称:東京国)を称し、南部は阮氏が広南国を称していた。このふたつの政権は「鄭阮戦争」と呼ばれる抗争を繰り返し、国土は疲弊した。 直接の抗争が落ち着いた後も、東京鄭氏の治世下では地主や官僚の土地私有化がすすみ、遊興三昧の政治によって農村は荒廃し、1735年には大飢饉が起こり反乱が相次いだ。 広南国でも1765年の武王の死後、わずか12歳の定王の摂政となった張福鸞を中心に官僚の不正がはびこっていた。また、広南阮氏は以前よりアユタヤ王朝の干渉を避けようとするクメール王朝と姻戚関係を結び、それを利用した南進政策のもとでメコンデルタに多くの植民地を築いており、1757年には反乱鎮圧を名目に現在のカンボジア南部にまで勢力を伸ばしたが、1767年にアユタヤ王朝にとってかわったトンブリー朝のタークシン王はふたたびクメール王朝に侵攻。これにより植民地を失った広南国では民衆にさらに重税を課すことになり、地方は疲弊した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西山朝」の詳細全文を読む
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