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西山 徹(にしやま とおる、1948年 - 2001年3月2日)は日本のプロ釣り師、釣りジャーナリスト、ダイワフィールドテスター。フライフィッシングやバスフィッシング、ソルトウォータールアーフィッシング、そして生物学的知識の釣りへの導入における草分け的存在。 == 来歴 == 高知県出身。釣り好きの父親の影響を受けて、物心ついたときから釣りに熱中。 小学校入学とともに小鮒やオイカワ釣りを、 小学校3年生頃に鮎のドブ釣り、友釣りを覚え、 それ以降も鯉、鯰、ボラ、シロギスと様々な魚を釣っていく。 6年生の時アマゴ釣りを経験し、その美しさに心底感動したという。 中学時代に海の投げ釣りと渓流釣り、ヘラブナ釣り、そして、フライフィッシングをはじめる。 高校時代に初めてルアーと出会う。当時、ドジョウを餌に投げ釣りでヒラメやスズキを狙っていたが、どちらも冬期に対象魚としていたため、その時期までドジョウを生かしておいたり、冷たい水に手をつけて仕掛けを作らねばならなかった。丁度その頃、ミノータイプのルアーが全国的にわずかながら流通し始め、ドジョウの代替品として使用して実際に釣れる。しばらくして、「ドジョウタイプのミノーなら更に釣れるのでは」と考えたのが発端となり、ルアーの自作にも手をつけ始める。この頃は磯釣りにも熱中していた。 日本大学農獣医学部で魚類学を専攻。卒業後には釣り業界に入り、広く国内外を釣り歩くようになる。 1974年、アメリカから持ち帰ったワームを使った釣りのビデオを11PM内のイレブンフィッシングというコーナーで放送。これによりワームの存在が広く知られる事となり、大きな反響を呼んだ。しかし、当時あまりに釣れ過ぎたため、その反響のほとんどが「あれは餌だ」「もはやルアーではない」などと否定的なものであった。(晩年、彼が行ったバスの死因調査において、ワームを飲み込んだ事が一番の原因であった事にショックを受けた。ワームを大きく広めた事に責任を感じながらも、ワームを広めた当の本人がワームに対して否定的な見解を出すという矛盾が生じる事実に思い悩んでいた。) 1970年代の後半、冬季のバスについてアメリカでは「テキサス州までは釣れるが、それより北の地域では釣れない」、日本では「冬眠状態になる」とされていた事に疑問を抱き、真冬に3年連続で津久井湖、山中湖、河口湖に毎週一回以上足を運び、冬でも十分釣りになると確信。 この冬のバスの釣りをウィンターバスフィッシングと名付け、月刊誌つり人で発表。日本で初めてメディアで冬のバス釣りを紹介した。これが大反響を呼び、さまざまな意見・批判が巻き起こる。こうして既成概念を覆すことの楽しさを覚えた彼は、次は氷が張った湖では釣れないという既成概念を覆そうと氷に穴を開けてバスを釣り上げる。 1983年からTHE フィッシングのキャスターを務める。 2001年3月2日 食道癌で死去、享年52。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西山徹」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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