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西川 徹郎(にしかわ てつろう 1947年9月29日 - )は、北海道芦別市生まれの俳人、文芸評論家。浄土真宗本願寺派正信寺住職。龍谷大学中退。本名は''徹真''。 ==来歴・人物== 浄土真宗の寺に生まれる。地元芦別高校在学中から俳句に目覚め、17歳で北海道を代表する俳句同人誌「氷原帯」の新人賞を受賞。10代にして処女句集『無灯艦隊』を上梓。 自坊の住職として務める傍ら、俳人として精力的に活動。芦別市に出版社書肆茜屋(茜屋書店)を設立し、個人雑誌「銀河系つうしん(後に-通信と改題)」などを発行する。妻は小説家の斎藤冬海。 「文学としての俳句」を提唱し、自らの作品を「実存俳句」と称している。「反季語」を掲げた自由な作風は俳壇では「異端」と評されることも多く、哲学者の梅原猛をして「ほとんどすべて甚だ難解」(論叢『星月の惨劇-西川徹郎の世界』茜屋書店、2002年)と言わしめた。 多作でも知られ、2000年上梓の『西川徹郎全句集』には実に5,300余句を収録するが、その2年後に刊行された句集『銀河小學校』で新たに5,000余句を書き下ろしている。但し、これについては「質より量」との批判もある。 評論家の小笠原賢二を高く評価し、病床の小笠原を見舞って、その西川徹郎論をまとめたいと申し出、『極北の詩精神』として刊行した(茜屋書店、2004年)。同書は小笠原の生前最後の著作となった。 2006年、旭川市に「西川徹郎文學館」開館。 熱烈なプロレス、格闘技ファンでもあり、北海道内で開催する興行は漏らさず観戦するという。元レスラー若松市政(元・芦別市議会議員)とも親交が深い。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西川徹郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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