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西日本13府県連続放火事件 : ウィキペディア日本語版 | 松山城放火事件[まつやまじょうほうかじけん]
松山城放火事件(まつやまじょうほうかじけん)は、1933年(昭和8年)7月9日に愛媛県松山市の松山城が放火され焼失した事件。この放火犯人は他にも多くの建物を放火しており、別名を「西日本13府県連続放火事件」ともいう。 == 事件の概要 ==
=== 松山城放火事件 === 放火犯が最初の犯行に及んだのは1932年9月15日のことで、まず道後温泉にある道後ホテルが炎上し、19時間後には近くの曹洞宗護国山・義安寺も炎上した。当初警察は失火か放火かを断定していなかったにもかかわらず、地元新聞社は放火によるものと憶測記事を掲載した。これは松山のシンボルである松山城が標的にされることを恐れて警鐘のためであった。 そして1933年7月9日に松山城が放火され、天守は類焼を免れたが、小天守・南北隅櫓・多聞櫓が焼失した。不幸にもそれが現実になった。その後地元紙「海南新聞」(現在の愛媛新聞)に対し、放火犯からと思われる手口を詳細にしるした手紙が寄せられるようになったが、犯人はなかなか判明しなかった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松山城放火事件」の詳細全文を読む
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