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WJP(ダブリュー・ジェー・ピー、ウエスト・ジャパン・プロレスリング)は、日本のプロレス団体。設立当初の団体名は西日本プロレス(にしにほんプロレス)。1998年に現在の団体名に改称。 == 概要 == 地域密着型のプロレスを目的としたみちのくプロレスの成功に触発され、九州(特に熊本県)を中心に、地域密着型の興行形態を目的に、1994年12月22日熊本県・熊本市総合体育館にて旗揚げ戦を行う。 旗揚げに当たっては、所属選手の退団で自主興行能力を失っていたPWCのエースであった高野拳磁をエースに据え、元W★INGプロモーションの島田宏や道産子プロレス道場 元気を設立していた将軍KYワカマツらが参加したが、エースである高野は旗揚げ戦に参加したのみで離脱。代わって、元W★INGプロモーションの徳田光輝と元ユニオン・レスリング(現:ユニオンプロレス)のホーデス・ミン(現:ポイズン澤田)〔後に2名とも離脱し、新団体「Jet's」の旗揚げを画策するも、資金面などから旗揚げ前に崩壊。その後、徳田は「ビッグ・フォール・エンタープライズ(BFE)」を設立。澤田はDDTプロレスリングに参戦。〕をエースに据えることになる。 九州を拠点にしつつ、東京にも進出し後楽園ホールにて興行を行う等の展開を図るものの、観客動員に苦戦。1996年には所属していた幸村剣士郎(現:幸村ケンシロウ)、相島俊介(現:相島勇人)、守永安広(現:水前寺狂四郎)が離脱し、独自に九州求道軍(現:プロレスリング求道軍)を結成して活動するなど、内部に混乱を生じ、事実上、興行機能を失った。 その後、九州求道軍から復帰した相島、水前寺をエースに据え、1998年に団体名もWJP(ウエスト・ジャパン・プロレスリング)に改称して立て直しを図ったが、相島、水前寺が新たに旗揚げされた世界のプロレス(現在は解散)に引き抜かれたため、代わって川崎賢一をエースに据えるものの、その後も状況は好転せず、現在は活動停止となっている。 旗揚げ当初はスポンサーも付き、順調なスタートをきるが、同じように地域密着を目的とした、みちのくプロレスが、ザ・グレート・サスケやスペル・デルフィンの活躍で全国区の知名度を獲得したことに比べ、唯一、知名度のあった高野の離脱以降、知名度のあるレスラーが存在せず観客動員で苦戦。それに加えスポンサーの撤退や選手同士の分裂等の問題もあり、結局、充分な活動を行うことができずに事実上、崩壊する形となった。 旗揚げにはPWC所属を標榜していた高野を据えた事や、木村浩一郎、素顔時代の菊タローといった多くのインディペンデント団体を中心に活動する選手や、いわゆる『怪奇派』を中心とした覆面レスラーが多く参戦するなど、興行には事実上、外部団体の所属選手やフリー選手に依存していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西日本プロレス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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