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西本和人[にしもと かずひと]
西本 和人(にしもと かずひと、1962年6月19日 - )は、プロ野球・西武ライオンズに所属した元投手である。 ==来歴・人物== 東海大学付属第四高等学校時代にエース兼4番打者として第52回選抜高等学校野球大会に出場。中井哲之、原伸次らを擁する広陵高等学校に1回戦で敗れた〔。 1981年に西武ライオンズへドラフト外で投手として入団。落差のあるカーブとカミソリシュートと呼ばれる切れのあるシュートを武器に1982年に活躍。8月31日には後に200勝投手となる工藤公康がプロ初勝利した試合では先発投手を務めた。 しかし、同年のロッテ戦で袴田英利にそのシュートでデッドボールを当ててしまい、同じ試合で落合博満の頭部付近に投球した際に落合がバットを投げて威嚇したことがあり、その頃から内角をつく投球が自信を持って出来なくなり不遇の時期を送る。投げ方をサイド気味に変え1989年にクローザーとして復活。1990年にもセットアッパーとして貢献。西武の黄金期を中継ぎで支え、1993年限りで退団した。退団後はプロ野球界から離れた。 元・日本ハム外野手・コーチの中島輝士(西本と同学年。対戦はなかったが先述の第52回センバツにも出場)は、週刊ベースボール誌上で「僕が『こいつのシュートはすごい』と思ったのは西本。プロ入りして間もない頃対戦したが、その切れ味に驚いたことを今でも覚えている。だから、僕は『カミソリシュートの西本』といえば西本聖さんではなく、彼を思い浮かべる」と語っており、引退した今でも評価される投手の一人である。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西本和人」の詳細全文を読む
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