|
西本 明和(にしもと あきかず、1948年10月11日 - )は、愛媛県松山市興居島出身の元プロ野球選手(内野手、投手)。 巨人、中日、オリックスで活躍した西本聖は実弟。 == 来歴・人物 == 愛媛県立松山商業高等学校では、2年生からエースとなり、夏の甲子園予選北四国大会決勝に進出。高松商と対戦し、小坂敏彦投手との投手戦となるが、1-2で惜敗し甲子園出場を逸する。1年上のチームメートに末永正昭がいた。 翌、エース、四番打者として夏の甲子園に出場。準決勝では横山晴久投手を擁する小倉工に苦戦するが1-0で完封勝ち。しかし決勝では、春の選抜の優勝校である中京商に1-3で敗退し、準優勝にとどまる。秋の大分剛健国体では決勝で津久見を1-0で完封し、優勝を飾った。 1966年度第2次ドラフト1位で広島カープに入団。投手としてはシュート、カーブが武器のサイドスロー。しかし、4月に交通事故で2か月入院。同年10月に一軍に復帰し、10月14日の対大洋ホエールズ戦(川崎球場)でプロ初勝利を挙げるも、同年シーズンオフでまたも交通事故でむち打ち症となり、長くその後遺症に悩まされることになる。 投手としては通算6勝にとどまり、に内野手に転向。同期の三村敏之や守備コーチだった広岡達朗が「これほど熱心に練習する選手は見たことがない」と評するほどの真剣かつ豊富な練習量で再起を目指した。努力の甲斐あって一軍出場にも恵まれ始めたが、に肝臓病を患い一度は現役を引退。この後、3年間の入院生活を余儀なくされた。に入団テストを受けて広島に復帰、登録名を西本充志とするものの一軍出場は無く、同年に再び引退する。引退後は表立って球界とかかわることなく、現在は故郷松山において、肉料理店「ホームラン」を経営している。 弟・聖に比べ、野球選手としての実績は遥かに見劣りするものであるが、野球に取り組むその真摯な姿勢は、聖の人生に多大な影響をもたらしたと言われている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西本明和」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|