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西村陸奥夫[にしむら むつお]
西村 陸奥夫(にしむら むつお、明治元年9月21日(1868年11月5日) - 明治45年(1912年)1月8日〔『大正四年特別大演習記念 青森県名鑑』43頁。〕)は、日本の内務官僚、佐賀県知事。 == 経歴 == 陸奥国津軽郡妙堂崎村(後青森県西津軽郡水元村、現在の北津軽郡鶴田町)出身〔。西村孫兵衛の長男として生まれる〔『人事興信録』第3版、に39頁。〕。東奥義塾を卒業し、1887年(明治20年)から1889年(明治22年)まで北津軽郡立高等小学校で雇教員として働いた〔。1890年(明治23年)、東京専門学校政学部を卒業〔。1891年(明治24年)、青森県内務部雇となり、1893年(明治26年)には青森県会に異動となった。翌年、職を辞して上京し、法律学の勉強に励んだ〔。1895年(明治28年)11月、文官高等試験行政科試験に合格し、翌年に内務省属・県治局勤務となった〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』175頁。〕。 その後、栃木県参事官、徳島県参事官、鹿児島県事務官・第四部長、島根県事務官・第一部長、福島県事務官・第一部長兼第三部長、宮城県事務官・第一部長兼第三部長などの職を歴任した〔。 1908年(明治41年)12月、佐賀県知事に任命されたが〔『新編日本の歴代知事』991頁。〕、1911年(明治44年)の夏秋の境ごろから病にかかり、10月6日付で休職となった〔『官報』第8491号、明治44年10月7日。〕。翌年の1月8日に死去。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西村陸奥夫」の詳細全文を読む
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