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西武3000系電車(せいぶ3000けいでんしゃ)は、1983年(昭和58年)〔小林尚智 「私鉄車両めぐり(147) 西武鉄道」 (1992) pp.262 - 263〕から1987年(昭和62年)〔にかけて新製された西武鉄道の通勤形電車。2014年(平成26年)12月をもって全車両が廃車となった〔交通新聞社「鉄道ダイヤ情報2015年1月号私鉄車両のうごき125頁記事。〕〔交通新聞社「鉄道ダイヤ情報2015年4月号私鉄車両のうごき126頁記事。〕。 以下、本項においては3000系電車を「本系列」と記述し、また編成単位の記述に際しては各編成の飯能・西武新宿寄り先頭車の車両番号(以下「車番」)をもって編成呼称とする(例:3005編成〔楠居利彦 「2011年西武電車最新ガイド」 (2011) p.28〕)とともに、車番の末尾が奇数の車両を「奇数車」・偶数の車両を「偶数車」と記述する。 == 概要 == 本系列が登場した1983年(昭和58年)当時における池袋線系統の主力車両は101系・301系電車(101系列)であった〔。同系列は池袋線飯能以西の勾配区間における運用を目的として設計された抑速発電制動を備える抵抗制御車であり〔、界磁チョッパ制御による回生制動を備える2000系電車が配属されていた新宿線系統と比較すると、省エネルギーという観点からは池袋線系統は一歩遅れを取っていた〔。 101系列の増備が一段落したのち、池袋線においても主に各駅停車運用に充当する目的で省エネルギー車両の導入が検討された〔小林尚智 「私鉄車両めぐり(169) 西武鉄道」 (2002) pp.250 - 251〕。しかし、当時の西武の通勤形車両においては3扉構造が標準仕様とされており〔楠居利彦 「2011年西武電車最新ガイド」 (2011) p.21 - 22〕、4扉構造の2000系はこの当時は新宿線各駅停車の混雑緩和という限定的な用途で導入されたものと位置付けられていた〔〔〔西武において4扉構造の車両が主流となったのは、701系・801系電車および401系電車(2代)の代替を目的として新2000系の大量増備が開始された1988年(昭和63年)以降のことである。〕。また、池袋線のターミナル駅である池袋駅における整列乗車の便を考慮した結果〔鉄道ファン 「新車ガイド 西武の省エネ電車 3000系登場」 (1984) p.60〕、2000系をそのまま導入するのではなく池袋線向けの3扉構造の新型車両を新たに導入することとなり〔、本系列の設計・製造に至ったものである〔。 本系列の設計段階においては、1983年(昭和58年)当時増備が進行しており〔、かつ将来的に池袋線との相互直通運転が計画されていた帝都高速度交通営団(営団地下鉄、現・東京地下鉄)有楽町線用車両である7000系電車に範を取った〔軽量のアルミ合金製車体〔・省エネルギー性に優れる電機子チョッパ制御方式〔のほか、当時は日本国内の高速電車における実用例がまだ希少であったボルスタレス台車といった〔、いずれも西武鉄道においては前例のない数々の新機軸を盛り込むことが検討された〔。もっとも、最終的には2000系と同等の主要機器と新101系・301系に類似した普通鋼製車体を組み合わせた〔、非常に保守的な設計が採用された〔。 1983年(昭和58年)11月〔小林尚智 「私鉄車両めぐり(147) 西武鉄道」 (1992) p.279〕に1次車となる8両編成3本が落成して以降、1987年(昭和62年)3月〔までの4次にわたって8両編成9本(72両)が新製された〔。 当初は全編成とも池袋線に配属されたが〔小林尚智 「私鉄車両めぐり(147) 西武鉄道」 (1992) p.273〕、後年新宿線へ転属する編成も発生した〔。 2010年(平成22年)〔楠居利彦 「2011年西武電車最新ガイド」 (2011) p.30〕に中間車を減車して6両編成化された編成2本が現れ〔〔楠居利彦 「2011年西武電車最新ガイド」 (2011) p.57〕、その後2013年(平成25年)度に8両編成5本が廃車となり、2014年(平成26年)4月1日時点〔交友社「鉄道ファン」 2014年8月号付録 大手私鉄車両ファイル「車両配置表」 (2014) 〕で8両編成2本(16両)および6両編成2本(12両)の計28両が在籍していた〔。その後、前述のとおり2014年12月までに全車両が廃車となった〔交通新聞社「鉄道ダイヤ情報2015年1月号私鉄車両のうごき125頁記事。〕〔交通新聞社「鉄道ダイヤ情報2015年4月号私鉄車両のうごき126頁記事。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西武3000系電車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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