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武蔵野鉄道デハ320形電車(むさしのてつどうデハ320がたでんしゃ)は、西武鉄道の前身である武蔵野鉄道が1926年(大正15年)〔今城光英・加藤新一・酒井英夫 「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 1」 (1969) pp.70 - 71〕に新製した通勤形電車である。 本項では、同形式の制御車サハ325形電車、およびデハ320形・サハ325形の増備形式と位置付けられる〔園田政雄 「西武鉄道 時代を築いた電車たち」 (1992) p.151〕デハ1320形電車・サハ2320形電車・サハニ3323形電車の各形式についても併せて記述する。 == 概要 == 武蔵野鉄道は1925年(大正14年)に本線(現・西武池袋線)池袋 - 飯能間の全線電化を完成させたが〔今城光英・加藤新一・酒井英夫 「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 1」 (1969) p.70〕、同時期に急増した利用客への対応〔、ならびに本線練馬駅より分岐して豊島駅(現・豊島園駅)に至る豊島線の開業を控え〔、更なる車両増備の必要に迫られていた〔。そのような状況下、1926年(大正15年)10月に制御電動車デハ320形321・322および制御車サハ325形326・327の4両が川崎造船所で新製された〔。同4両は武蔵野鉄道においては初となる〔今城光英・加藤新一・酒井英夫 「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 1」 (1969) p.71〕、構体主要部分を普通鋼製とした半鋼製車体を採用した点が最大の特徴であった〔。 翌1927年(昭和2年)3月〔には、制御電動車デハ1320形1321 - 1323、制御車サハ2320形2321・2322および荷物合造制御車サハニ3323形3323の計6両が増備された〔。同6両は日本車輌製造東京支店で新製され〔園田政雄 「西武鉄道 時代を築いた電車たち」 (1992) pp.151 - 152〕、主要機器の仕様は同一であったものの、製造メーカーの相違による外観上の差異を有した〔。 導入後は制御車各形式の電動車化などが施工され、第二次世界大戦終戦後の武蔵野鉄道と(旧)西武鉄道の合併に伴う(現)西武鉄道成立〔合併当初の社名は「西武農業鉄道」。1946年(昭和21年)11月15日付で現社名へ改称。〕後、1948年(昭和23年)6月〔今城光英・酒井英夫・加藤新一 「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 3」 (1970) p.77〕に在籍する全車両を対象に実施された一斉改番に際しては、モハ211形211 - 214およびモハ221形(初代)221 - 226と改番・再編された〔。さらにモハ221形(初代)はモハ211形へ編入されたのち〔、1958年(昭和33年)に全車とも電装解除されてクハ1211形1211 - 1216と改称・改番され〔、モハ211形・クハ1211形は1965年(昭和40年)まで在籍した〔園田政雄 「西武鉄道 時代を築いた電車たち」 (1992) p.152〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「武蔵野鉄道デハ320形電車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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