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西田祥実 : ウィキペディア日本語版
西田祥実[にしだ よしみ]

西田 祥実(にしだ よしみ、1892年(明治25年)3月1日 - 1944年(昭和19年)2月21日)は、日本陸軍軍人陸士25期
第二次世界大戦中、エニウェトクの戦いにて戦死した。最終階級は陸軍少将、死後中将
==経歴==
高知県士族出身。陸軍士官学校卒業後、歩兵第41連隊附〔『陸軍現役将校同相当官実役停年名簿』(大正3年7月1日調) 353コマ〕。歩兵第223連隊長などを経て京都連隊区司令官。在任中に少将に昇進。
満州第3独立守備隊長であった1943年(昭和18年)、軍令陸甲第106号による同守備隊の海上機動第1旅団への改編に伴い、同旅団長に就任。同旅団はマーシャル諸島エニウェトク島における主要な守備戦力であった。
1944年2月、アメリカ海兵隊によるエニウェトク環礁侵攻が始まる。西田は海岸で米軍を足止めすることを計画して1ヶ月前から防御陣地の構築を進めていたものの、彼がおよそ800人の将兵と共に展開していたエニウェトク島は極めて狭かった為に十分な防御態勢を取ることができなかった。エニウェトク島を巡る戦いで戦死した米海兵隊員はわずか37人だったが、日本軍守備隊は西田を含むおよそ800人全員が戦死した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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