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西谷 祥子(にしたに よしこ、1943年10月2日 - 、本名:山田 祥子)は、日本の漫画家。少女マンガ史におけるエポック的重要存在の一人。高知県高知市生まれ。高卒後、長期の漫画家の後で中央大学法学部法律学科卒業〔横山隆一記念まんが館|高知出身の漫画家|西谷祥子 参考。〕。 == 概要 == 学園漫画の開拓者と見られ、また自認もしている。恋愛要素の強い学園ものの始まりともいわれるが、学園を場とする同世代群像を持ち込んだことも大きな特徴である。 少女漫画が週刊誌化によって1960年代後半に急発展した時期、その初期の集英社少女漫画雑誌を人気の点で支えた代表作家の一人であり、それを最も長く連続した人物でもあって、当時を振り返って学園ラブコメの代名詞的存在として語られる。 他にも作風は広く、少女趣味的ファンタジーから男性作家の書くかのような大河ロマン、SFから深い心理の問題作までを高いレベルで発表している。とくに月刊誌の読み切り作品は文学的とも言えるほど対象年齢が高く、当時としては野心的なテーマも多く、彼女の代表作にむしろ短編を上げる人もいるが、単行本未収録のものが多い。 萩尾望都は少女マンガ誌で自己表現を行った初めの人物と評している〔雑誌COM '71年少女マンガ特集号〕。 作風は一般に青春群像的な傾向が強く(とくに前期長編作品)、作者は登場人物達は自分の分身であるといい、主人公は狂言回しであるともいう〔かおるさんのSF大会レポート (010819) 西谷祥子先生に聞く 〕。またセリフその他に文学趣味を感じる読者も多く、とくに繊細で重い代表的な読み切りにその傾向がある。構成力の高さで多様な形式を描き分けている。 作者の人気作家時代の回想として、週刊誌で人気を取って読み切りで好きなものを描いた〔かおるさんのSF大会レポート (010819) 西谷祥子先生に聞く 〕、という。また初期の彼女は、「石森章太郎(石ノ森章太郎)と水野英子の間にかってに生まれた私製児 (≠私生児)」と自分を位置付けていたという。 当時を知る人の細かい感想として、たとえばデビュー当時(1965年の白鳥の歌)、マンガ家になる前のみなもと太郎が見て、その色気を含む描線〔「お楽しみはこれもなのじゃ」(著者 みなもと太郎) 〕が新鮮だったという。また瞳の中に窓の反射のような光を入れる描き方を他の漫画家達が利用していたという。〔〕 彼女の作品と作風が少女漫画の最先端の一つであった時期は、1960年代後半から1970年代の始まり頃である 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西谷祥子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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