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西郷吉之助[さいごう きちのすけ]
西郷 吉之助(さいごう きちのすけ、1906年7月20日 - 1997年10月12日)は、日本の政治家。西郷隆盛の嫡男である西郷寅太郎の三男。隆盛の孫にあたる。侯爵。 == 来歴・人物 == 学習院を経て、東北帝国大学卒業。学習院時代の同期には日中戦争で戦死した南郷茂章などがいた。祖父隆盛と同じく堂々とした体躯で知られた。 銀行員を経て貴族院議員(1936年(昭和11年) - 1947年(昭和22年))、自由民主党参議院議員(1947年(昭和22年) - 1973年(昭和48年)、4期)。参院議員任期中の昭和26年の行政書士法制定には反対した。1954年(昭和29年)には、東京都港区芝に建立された『西郷南洲(隆盛)・勝海舟会見の地』記念碑の銘文を揮毫している。 第2次佐藤内閣(1968年(昭和43年))では法務大臣を歴任した。大臣任期中の1969年(昭和44年)、かつてGHQ占領下で起訴された死刑囚の再審を規定した再審特例法案が提出されて廃案になった際に、6件7人の死刑囚に対して恩赦の検討を表明し、結果3人が無期懲役への減刑がなされた。 この頃より手形を乱発して債務は当時で4億円近くまで膨らみ債権者が騒ぎ出したため、西郷はその頃えせ同和行為で羽振りの良かった尾崎清光と繋がり、私設秘書や在日朝鮮人、暴力団などを使って議員会館内で債権者に暴力や恐喝を行う事件を起こし〔『噂の眞相』1984年4月号 竹田文昭「プロの殺し屋に射殺された"利権屋同和"尾崎清光の成金人生」〕、その容疑は国会でも問題にあがり、西郷は自由民主党を離党している。後にも西郷の秘書たちが、立場を利用して入港する船舶検査に手心を加えるよう各所に電話する日々であった、などと月刊誌『正論』にて証言したり、逮捕収監されていた暴力団員の刑の停止に力を貸していた、などの不義行為が曝露されている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西郷吉之助」の詳細全文を読む
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