|
西郷 正友(さいごう まさとも、生年不詳 − 慶長9年(1604年))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。別名、正員。通称、市十郎。藤左衛門。西郷元正の子。西郷義勝の弟。西郷重員の父。 元亀2年(1571年)春、武田氏配下・秋山虎繁(信友)による三河侵攻に対抗。懸命の迎撃戦により武田軍を一時的に退ける事に成功したものの総領の兄・義勝は、この戦いで命を落とした。 徳川家康からは西郷氏の後継に、従兄弟・家員(清員の子)が指名されている。兄の遺児が幼弱である事が理由なら、家員よりも西郷嫡流に生まれた正友への家督相続も考えられただろうが、家康はそれですら認めなかった。 天正15年(1587年)には、井伊直政に付けられたという。最盛時で2000石を食んでいたともいわれる。その後、隠居時には300石だったという。 現在、彦根東高校の付近に残る西郷屋敷跡とは、彦根藩で重きを成していた子の重員に宛がわれた屋敷だと思われる。 == 関連項目 == * 彦根城 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西郷正友」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|