|
西野 皓三(にしの こうぞう、1926年 - )は、西野バレエ団の創始者で西野流呼吸法・西野塾主催者。 大阪府生まれ。大阪市立医専(現 大阪市立大学医学部)在学中、宝塚歌劇団男子部に2期生として入団。本格的なバレエを習得するために東京の東勇作バレエ団に「内地特別留学生」として宝塚に籍を置きながら1年間派遣され、その後は宝塚歌劇団・宝塚音楽学校バレエ教師として教えるかたわら振付を担当。1951年ニューヨークのメトロポリタン・オペラ・バレエスクールに留学。1953年西野バレエ団結成。日本各地で古典バレエからコンテンポラリー作品まで数多くの作品を上演しその構成・演出・振付を行う。同時にバレエ評論家として読売・朝日・毎日など各新聞紙上にバレエ評を執筆。 1958年から読売テレビのテレビバレエ番組『バレエ・オムニバス』、その後『エビオス・バレエ劇場』の構成・振付を担当。1964年からNHK『歌のグランド・ショー』の企画・作・構成。1967年より日本テレビ『レ・ガールズ』の企画・作・構成など数多くのテレビ番組を手がける。松竹・西野バレエ団提携作品映画も複数手掛ける。 1969年ブラジル国際音楽祭にプロデューサーとして出席。1971年よりチリ国際音楽祭に審査員として連続出場。1971年IMIC国際音楽会議出席。 1975年50歳にして合気道入門。合気道本部にて道主植芝吉祥丸に師事。合気道師範。合気会評議員となる。1981年大気拳師範澤井健一に師事。中国拳法師範となる。 医学・バレエ・武道の経験と新たな閃きにより健康法西野流呼吸法(Nishino Breathing Method)を創始。 「気の力」によって相手を触れずに吹き飛ばすデモンストレーション(対気)を行いテレビでも放映され話題となった。 東京(渋谷区松濤)と大阪(天王寺区寺田町)に医学とバレエの体の動きとメカニズムから西野流呼吸法を開発し教室、西野塾を開き、毎日塾生達に稽古をつけている。塾生には医者・大学教授・経営者・芸術家・弁護士をはじめ主婦・会社員・学生など6歳から90歳代までの老若男女がいる。 西野流呼吸法の科学的解明をめざし国内外の研究機関・大学との共同研究を開始。医学ジャーナル誌“Evidence-based Complementary and Alternative Medicine”(eCAM)(論文3、4、5)や”Neural Plasticity"(論文1)に論文が掲載されている。 医学関係の学会にも多数招聘され講演(主な講演1-10)を行っている。 大阪国際女子大学客員教授・大阪市立大学大学院医学研究科客員研究員を歴任。 == 西野バレエ団 == 1953年に結成。大阪・帝塚山に活動拠点を置いた。1954年西野バレエ団旗揚げ公演にて『ジゼル』(全曲)『若者と死』、『胡桃割り人形』を上演。 当初はその名が示すとおりバレエダンサーの育成が中心だったが、1960年代以後のテレビブームが引き金となってテレビ番組に進出、これを機に活動の場を東京へ移した。こうして金井克子、岸ユキ、原田糸子、由美かおる、奈美悦子、江美早苗、志麻ゆき(後の四角佳子)、麻田ルミ、といった人気歌手(女優)を輩出した。中でも、金井、原田、由美、奈美、江美は、バレエ団内のユニット「レ・ガールズ」として活躍している。 現在バレエ公演はほとんど行われておらず、芸能プロダクション、西野流呼吸法普及のための活動が中心となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「西野皓三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|