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覆面座談会事件(ふくめんざだんかいじけん)は、1968年年末、『SFマガジン』誌上の匿名座談会によって日本SF作家クラブの内部に亀裂が生じた事件。 1950年に日本の推理小説界を震撼させた抜打座談会事件(『新青年』)のSF版と呼ばれることもある。 ==経緯== 1968年12月25日発売の『SFマガジン』69年2月号に「覆面座談会 日本のSF '68~'69」が掲載された。その内容は、評論家石川喬司・翻訳家稲葉明雄及び伊藤典夫、そして『マガジン』編集長・福島正実と副編集長・森優(南山宏の本名)の5人の出席者がA~Eの匿名に隠れて〔並び順は最相葉月『星新一 一〇〇一話をつくった人』(新潮社、2007年)p391による。〕、当時の日本のSF作家たちを遠慮なく批評するものだった。俎上に上せられた作家たちの名は、以下の通りである(座談会の小見出しに拠る)。 *"進化した"星新一 *小松左京=一九六八・日本・世界 *時代と踊る筒井康隆 *眉村卓期待にこたえるべし *世界に冠たれ無常SF(光瀬龍) *SF作家プロパー(豊田有恒) *有望株か不真面目か(久野四郎) *未完の大器・石原藤夫 *虎は起きたか起きないか(平井和正) *うわさの二人(石川喬司・福島正実) *アウトサイダーたち(河野典生・西村京太郎・草川隆・山口裕一・福田紀一・宮崎惇) 出席者の発言は、たとえば小松に関しては 筒井に関しては 豊田に関しては などといった具合であった。これらの発言が、この座談会でこき下ろされたSF作家たちの間に激しい反撥を呼んだ。 なお、匿名だった座談会の出席者は稲葉明雄を除いて、『SFマガジン』の発売直後に名乗り出て、遺憾の意を表明したという〔豊田有恒『あなたもSF作家になれるわけではない』徳間書店、1979年、p.103〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「覆面座談会事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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