|
親衛隊特務部隊(しんえいたいとくむぶたい、独:SS-Verfügungstruppe, 略号:SS-VT)は、ドイツの政党国家社会主義ドイツ労働者党(以下ナチ党)の組織親衛隊(以下SS)が保有していた軍事組織。武装親衛隊(以下武装SS)の前身となった組織である。ドイツ語の「Verfügung」には「自由使用」といった意味があり、この部隊名には総統アドルフ・ヒトラーや親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーが自由に使用できる部隊という意味が込められていた〔山下(2010)、p.164〕。 == 沿革 == === 前身 === 1933年1月30日のナチ党の政権掌握後に武装SSの前身となる武装強化されたSS部隊が出現するようになった。一つはアドルフ・ヒトラーの警護部隊である「ライプシュタンダルテ・SS・アドルフ・ヒトラー(Leibstandarte SS Adolf Hitler、略称LSSAH)」。二つ目は「SS政治予備隊(SS-Politische Bereitschaft)」。3つ目は強制収容所(KZ)の警備を行う「SS髑髏部隊(SS-Totenkopfverbände、略称SS-TV)」である〔スティン(2001)、p.42〕。 このうちSS政治予備隊とライプシュタンダルテがSS特務部隊の前身であった〔ヘーネ(1981)、p.430〕。特に政治予備隊が直接の前身である〔フォステン、マリオン(1972)、p.20〕〔山下(2010)、p.163〕。髑髏部隊はテオドール・アイケの下にSS特務部隊とは別の発展を遂げたSS武装部隊であり、戦時中になってようやく武装SSとして特務部隊と合同することとなった。 親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーは、総統アドルフ・ヒトラーのイニシアチブで創設された最初の武装強化されたSS部隊ライプシュタンダルテに触発され、1933年春にハンブルク、ドレスデン、ミュンヘン、エルヴァンゲン(de)、アロルゼン(de)などに政治予備隊を創設した〔芝(1995)、p.28〕〔スティン(2001)、p.42〕〔ヘーネ(1981)、p.426-427〕〔『武装SS全史I』、p.35〕。政治予備隊は左翼の内乱準備を粉砕するという名目で組織され、補助警察(プロイセン州内相ヘルマン・ゲーリングが突撃隊(以下SA)や親衛隊から組織させた警察)の特別コマンドとして武装強化が正当化され、一般の警察より強力な火力を持ち、またかなり自動車化されていた〔芝(1995)、p.28〕〔山下(2010)、p.163〕。政治予備隊はまもなく全ドイツに配置されるようになった〔ヘーネ(1981)、p.427〕。 1934年6月初頭の長いナイフの夜事件において国軍と対立していたSA幹部は粛清された。この粛清を主導したのはSSであり、政治予備隊、ライプシュタンダルテ、髑髏部隊といったSSの武装部隊は粛清の実行部隊として活動した〔スティン(2001)、p.43〕〔ヘーネ(1981)、p.429〕〔山下(2010)、p.163〕〔ラムスデン(1997)、p.97〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「親衛隊特務部隊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|