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観世宗節[かんぜ そうせつ] 観世 宗節(かんぜ そうせつ、永正6年(1509年) - 天正11年12月5日(1584年1月17日))は、戦国時代に活躍した観世流猿楽師。七世観世大夫。諱は元忠、法名は、一安斎宗節。現代に至るまで観世宗家の通り名となっている「左近」を初めて名乗った人物ともされるが、後代の誤伝の可能性が高い〔表章「観世元忠(宗節)は「左近大夫」に非ず」(日本文学誌要42号)、1990年〕。 戦乱によって苦境に立たされた芸界にあって、家に伝わる伝書、謡本などを書写・整理し、また徳川家康に早くから接近して、後代の観世座隆盛の礎を築いた。 == 生涯 ==
=== 出自 === 観阿弥から伝わる観世座を統率する六世大夫・観世元広(道見)の三男として生まれる。母は金春座の大夫・金春禅鳳の娘。義教・義政時代を代表する名優・音阿弥の直系の曾孫であり、また母方を通じて金春禅竹、そして世阿弥など、いずれも能楽草創期を代表する名人たちの血を承けている。 長兄の宗顕は片目を失明しており、また次兄の十郎大夫は世阿弥直系の家である越智観世家の名跡を継いだため、元忠が三男ながら観世宗家の後継となった。なお、弟に宝生家に養子に入って大夫を継いだ重勝(通称「小宝生」)がいる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「観世宗節」の詳細全文を読む
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