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角屋七郎兵衛[かどや しちろうべえ] 角屋 七郎兵衛 栄吉(かどや しちろうべえ〔角屋七郎兵衛|朝日日本歴史人物事典 〕/しちろべえ〔1-5 角屋七郎兵衛等供養碑並びに松本駝堂墓(来迎寺)|松阪市の指定文化財|松阪市 (2014年8月3日閲覧。)〕 えいきち)、慶長15年3月17日(1610年5月10日) - 寛文12年1月19日(1672年2月17日)〔は、江戸時代初期の貿易家。本姓は松本、名は栄吉〔。 == 略歴 == 伊勢国松阪・湊町の廻船問屋、角屋七郎次郎忠栄の次男として生まれた〔〔角屋七郎次郎(3代)|デジタル版日本人名大辞典+Plus 〕。朱印船貿易に携わる貿易家となった七郎兵衛は、1631年(寛永8年)、安南(ベトナム)に渡った。だが、その2年後に鎖国令が出たため、七郎兵衛は二度と日本に戻ることはなく、生涯をベトナムで過ごすこととなった〔。鎖国下にあっても日本への家族や親類には書状で連絡を取り、伊勢神宮や松阪城下の寺社へも寄進し続けたという。また、ベトナム中部の町・ホイアンの日本人街の長も務めた〔。死後、1928年(昭和3年)には従五位を贈位された〔徴古館農業館『贈位先賢遺品目録並講演要領』、P1 〕。 七郎兵衛とその一族の慰霊碑は現在も三重県松阪市の来迎寺に残されており、松阪市の市指定文化財にもなっている〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「角屋七郎兵衛」の詳細全文を読む
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