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角盤町(かくばんちょう)は、鳥取県米子市の町名。郵便番号は683-0812。1~4丁目がある〔『角川日本地名大辞典 31鳥取県』 213頁〕。米子で有数の繁華街である〔『角川日本地名大辞典 31鳥取県』 907頁〕 == 歴史 == 大正4年(1915年)~現在の町名〔『角川日本地名大辞典 31鳥取県』 213頁〕。もとは米子町のうち通称角盤町(角盤通り)と称した地域〔『角川日本地名大辞典 31鳥取県』 214頁〕。町名の由来は大山の別称角盤山を望むことによるという〔。 成立当時付近一帯は桑畑であった〔。四日市町、東倉吉町の加茂川右岸にわずかに人家があり米川までの間には、田園を隔ててずっと向こうに未解放部落や非人部落を設定する程度であった〔『米子商業史』431頁〕。この広い耕地地帯は米子城下町裏筋の農業者の大切な耕地であったから明治36年(1903年)野坂茂三郎を会長として土地整理委員会がつくられ、同38年までに百七十三町歩を整理した〔。 明治37年(1904年)には角盤高等小学校が中町から移転し同41年には啓成尋常小学校が開校し同42年には県立となった米子高等女学校が道路から少し離れた北側の畑の中に設立された〔。 大正3年(1914年)には朝日町出口に映画の米子館が開館し同14年には尾高町で焼けた坂口氏の日本製糸の新工場が四丁目に新築された〔。同15年には三丁目に劇場山陰座が開設された〔。同年には、灘町から後藤駅前、角盤小学校裏を通り皆生線に合する電車通も開設された〔。 戦後は廃校となった角盤小学校跡に市立公会堂が昭和33年(1958年)建設され啓成小学校が米川沿いに移転した跡には同39年米子高島屋が開店〔。同45年にはやよいデパートも開店〔。 昭和10年(1935年)1丁目の一部が冨士見町1~2丁目・冨士見町、2丁目の一部が、日ノ出町・錦町1丁目、3丁目の一部が錦町2丁目、4丁目の一部が錦町3丁目となる〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「角盤町」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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