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征伐(せいばつ、conquest または subjugation)とは、反乱を起こした勢力を鎮圧したり、反社会的な犯罪集団・賊などを、武力で処罰(懲罰)したりすることをいう。 「征討」(せいとう)・「討伐」(とうばつ)も征伐とほぼ同義語であり、罪ある者や手向かう者を攻め討つ意味で使われ、歴史用語としては上位者・正当な国家権力(朝廷や幕府)が反逆した下位者・罪人を攻め討つという意味で使われる。反対語的に使用される用語に「反乱」(はんらん)があり、政府周辺や政権をめぐる軍事反乱などに使われる。〔武田忠利「歴史用語と歴史教育」(『歴史学研究 第628号』に収録)1992年1月〕 「征伐」・「征討」・「討伐」と呼ばれている事件の一部に対しては、差別用語と見なす立場をとる識者もいる。それに対し、当時の意識は、そのような後世における政策的意識とは相違があるので、歴史学上の見地とは峻別されるべきという批判がある。〔藤木久志『豊臣平和令と戦国社会』東京大学出版会、248から253頁、 1985/5、ISBN 4130200739 ただし「朝鮮征伐」に関してのみの論考。〕 最近は使用例が減り、征伐に代えて「平定」(へいてい)を用いる用語例が増えている〔東京堂出版『日本中世史研究事典』1995年〕。 また、東洋においては征伐には道徳的意味が込められており、伝統的に反乱を起こした諸侯を天子が討ち平らげることとされる〔鄭求福「壬辰倭乱の歴史的意味-壬辰倭乱に対する韓・日両国の歴史認識-」2005年(『日韓歴史共同研究報告書』日韓歴史共同研究委員会 第1期(2002-2005年) 第2分科(中近世))〕。 == おもな「征伐」「征討」の例 == (別称がある場合は、矢印の右側に示す) *3世紀:三韓征伐 *古代~14世紀:蝦夷征伐 → 蝦夷征討。代々の朝廷が征伐をしている。 *奥州征伐 → *1189年:奥州合戦(鎌倉幕府が奥州藤原氏を征服) *1590年:奥州仕置(豊臣秀吉により小田原征伐後に行われた) *東夷征伐 → *古代におけるヤマトタケルや坂上田村麻呂の東征。 *1333年:鎌倉幕府倒幕(当時は「鎌倉幕府」という言葉がなかった) *関東征伐 → :古代のヤマトタケルの東征〔寺田英子『古事記の植物』文芸社。〕、鎌倉時代後期から南北朝における後醍醐天皇による号令〔『太平記』〕。室町時代の将軍足利義教と鎌倉公方足利持氏の対立からの永享の乱。1560年~1569年の小田原城の戦いを端緒とする上杉謙信の関東平定を目的とした遠征群。豊臣秀吉による小田原征伐(小田原合戦)。逸話として江戸時代の萩藩毛利家の新年儀礼の挨拶〔児玉幸多編『大名列伝』人物往来社。〕。 *1577年:紀州征伐 → 紀州攻め、信長の紀州征伐と秀吉の紀州征伐がある。 *1582年:甲州征伐 → 武田征伐。武田攻め。 *1585年:四国征伐 → 四国攻め。四国の役。 *1585年:越中征伐 → 富山の役。佐々成政征伐。北国御動座。 *1585年:上田征伐 → 上田合戦。真田征伐。上田城の戦い。上田城攻防戦。第一次と第二次(1600年)がある。 *1587年:九州征伐 → 島津征伐。九州の役〔『日本戦史 九州役』参謀本部編、1910年〕、九州攻め。九州平定。 *1590年:小田原征伐 → 北条征伐。小田原合戦。小田原攻め。小田原の役。関東平定。関東征伐。 *1591-98年:朝鮮征伐 → 文禄・慶長の役。朝鮮出兵。秀吉の朝鮮侵略。 *1600年:会津征伐 → 上杉征伐。会津攻め。 *1609年:琉球征伐 → 琉球の役。征縄の役。 *1864年:長州征伐(長州征討) → 長州戦争。幕長戦争。征長の役。長州の役。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「征伐」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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