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試製五十七粍戦車砲[しせい57みりせんしゃほう]
試製五十七粍戦車砲(しせい57みりせんしゃほう)は、1941年(昭和16年)より大日本帝国陸軍が研究・開発した戦車砲。 == 概要 == 1939年(昭和14年)より開発中であった一式四十七粍戦車砲を上回る威力を持った駆逐戦車用の57mm級戦車砲として1941年(昭和16年)3月より試製五十七粍戦車砲(甲)及び(乙)の研究が開始された。 (甲)は砲塔式として、試製一式砲戦車(後の二式砲戦車)に九九式七糎半戦車砲の砲身と交換して搭載可能なように考慮され、(乙)は自走式として、一式砲戦車の砲身と交換して搭載可能なものとして計画された。1943年(昭和18年)4月より馬式五十七粍砲の砲身を流用して試験が行われ、さらに同年5月には砲を新調して射撃試験が行われた。砲の初速は「甲」が約800m/s、「乙」が約900m/sであったが、いずれも急速に発展した重装甲の新型戦車が連合国に次々に出現したことから威力不足とされ開発は中止された。 一方、前述の駆逐戦車は、翌1942年(昭和17年)に新中戦車(乙)と改称され、1943年(昭和18年)7月に新中戦車(乙)は75mm戦車砲搭載に変更された。これが後の五式中戦車(チリ車)となる。同時に、47mm級戦車砲搭載で計画されていた新中戦車(甲)は57mm級戦車砲搭載に変更された。これが、本砲を搭載する後の四式中戦車(チト車)試製1号車となった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「試製五十七粍戦車砲」の詳細全文を読む
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