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詩篇51篇 : ウィキペディア日本語版
第50聖詠[だい50せいえい]

第50聖詠(だい50せいえい、, , )とは、ダヴィド(ダビデ)が、ウリヤの妻であったヴィルサヴィヤ(バテシバ)姦通したのち、夫ウリヤを死なせる事で奪って妻としたことを、預言者ナファン(ナタン)に叱責された際に詠った痛悔聖詠詩篇)と伝えられるもの〔『聖詠經』101頁 - 104頁、日本正教会翻訳 昭和63年再刊〕〔日本正教会祈祷書ではダビデは「ダワィド」、バテシバ(バト・シェバ)は「ワィルサワィヤ」と転写されている。いずれも教会スラヴ語表記のロシアにおける再建音の転写より、"в"(v)音をワ行で転写したもの。本稿では「ヴ」行で転写した。〕。経緯は列王記第二巻(サムエル記下)11章3節 - 12章25節に書かれている。
「50」の番号付けは正教会で使用する聖詠によるもの聖詠経などでは「第五十聖詠」と漢数字表記される。日本聖書協会訳の詩篇では第51篇に相当する。
この数字の違いは、正教会の聖詠はギリシャ語七十人訳聖書を底本にしている一方で、日本聖書協会訳の詩篇がヘブライ語聖書(マソラ本文)を定本にしていることに由来する。七十人訳聖書とマソラ本文とでは区切り方が違うことから、日本正教会訳の聖詠と、日本聖書協会訳の詩篇とでは、日本語の訳文のみならず、区切り方・数え方といった構成も異なっている〔『山手・上毛教会報』山手ハリストス正教会、2008年11月号〕。
「神よ、爾の大なる(おおいなる)憐みに因りて(よりて)我を憐み、爾が恵みの多きによりて我の不法を抹し給へ(けしたまえ)。」で始まる〔。正教会において、痛悔機密、朝の私祈祷領聖預備規程の晩祷、晩堂課早課第三時課など、使用される場面は多岐にわたり、頻繁に用いられる。
洗足式との関連で、第50聖詠中の「イソプを以て我に沃げ(そそげ)、然せば(しかせば)我潔くならん、我を滌へ(あらえ)、然せば我雪より白くならん」の節(9節)が引用されて説明されることもある〔弟子の足を洗うハリストス~写本挿絵より - 大阪ハリストス正教会 〕。
== 脚注 ==



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「第50聖詠」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Psalm 51 」があります。



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