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誠孝皇后[せいこうこうごう]
誠孝皇后(せいこうこうごう、? - 1442年)は、明の洪熙帝の皇后。姓は張氏。 == 経歴 == 河南永城の人。張麒と仝氏の娘。洪武28年(1395年)、燕王朱棣(のちの永楽帝)の世子・朱高熾(のちの洪熙帝)にとつぎ、妃(正室)となった。 永楽2年(1404年)、皇太子妃に立てられた。張氏は舅姑に孝事した。永楽帝は朱高熾を気に入らず、廃太子も検討したが、張氏のことは気に入っていたという。 洪熙帝が即位すると皇后に立てられた。張麒には伯爵(彭城伯)が贈られた。実子の宣徳帝が即位すると、皇太后となった。 宣徳10年(1435年)、10歳で英宗が即位すると、太皇太后となった。慎み深い態度で朝政を聴い、政務に適切な助言を与えた。賢后として名高い。正統7年、崩じた。 誠孝恭粛明徳弘仁順天啓聖昭皇后の諡が贈られた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「誠孝皇后」の詳細全文を読む
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