|
談洲楼燕枝(だんしゅうろう えんし)は落語の名跡。3代目の死後、空き名跡となっている。 元々談洲楼は9代目市川團十郎とも親交があり、團十郎主催の「三升会」の会員でもあった為談洲楼としている。 3代目は初代の前名柳亭燕枝を使用。 2011年2月に下の読みが同じ3代目桂圓枝が死去したために今後襲名されるかが。 #初代 談洲楼燕枝(1837年10月16日 - 1900年2月11日)は、幕末から明治にかけて活躍した落語家。享年64(満62歳没)。 #2代目 談洲楼燕枝(1869年2月25日 - 1935年7月6日)は、明治から昭和にかけて活躍した落語家。本名は町田銀次郎。満。 #3代目柳亭燕枝(1894年12月3日 - 1955年7月19日)は、明治から昭和にかけて活躍した落語家。5代目五明楼春輔、6代目柳亭小燕枝、6代目都々逸坊扇歌を経て襲名。本名は進藤勝利。満。 == 関連項目 == *柳亭小燕枝 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「談洲楼燕枝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|